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北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会気付
電話:090-9816-2187
   

第7回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」

日時:平成16年7月24日 
場所:神奈川県藤沢産業センター
主催:拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会
共催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会

講 師: 木村晋介さん(北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会・共同代表)
     崔祐英さん (韓国 拉北者家族協議会・会長)
     地村保さん (地村保志さんの父)
     増元照明さん(増元るみ子さんの弟)
     高野美幸さん(特定失踪者高野清文さんの妹)
     宋允復さん (北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・事務局次長)



木村晋介氏
 
初めまして。こんにちは。私は「北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会」の代表の1人として運動をしております立場で、今日参加をさせて頂きました。
で、私が今日皆さんに申し上げたい事は、拉致被害者の問題の底にあるものは一体何なのかという問題について話しますけれども、底にあるものは北朝鮮に於ける人権政策であるという事を皆さんにしっかり掴んで頂きたい、という風に思いました。

今、日本の憲法をどうするかという事が大変賑やかに議論されていますが、日本の憲法は何年に出来たか御存知ですか?1947年に出来たものですけど、私は1945年に長崎で生まれました。疎開をしている間に原爆が落ちました。その結果、こうやって話が出来る訳です。この日本国憲法が出来た翌年に、北朝鮮にも憲法が出来ました。その憲法にはどんな事が書かれているかという事を御知らせしましょう。この事は『拉致・国家・人権』という、中野徹三さんと藤井一行さんが大村書店という所から出された本の中に詳しく書かれているものです。

北朝鮮にも大変素晴らしい憲法がありまして、北朝鮮というのは実は本当の名前ではなくて「朝鮮民主主義人民共和国」という名前ですね、そして憲法にはこう書いてあります。「一切の公民は性別、民族別、信仰、技術、財産、知識系統如何に係わらず、国家政治経済、社会文化生活の全ての部門に於て同等の権利を有する」と、こう書いてあります。そして「公民は言論、出版、結社、集会、群衆大会及びデモンストレーションの自由を有する」という風に書いてあります。信仰及び宗教儀式挙行の権利も認められてるという事に、憲法上はなっています。しかし、本当にそうなのだろうかという事が核心の問題となります。黄長さんという、元、金正日氏の右腕と言われた方が亡命をされて、実際の北朝鮮の人権政策について語って来られました。その方は、こういう風に言っております。「北朝鮮の憲法には言論、出版、集会、結社等の民主的自由が保障され、最高人民会議を最高主権機関とし、恰も立法と行政、司法がそれぞれ独立性を誇っているかの様に規定されている。

しかし、これは100%嘘である。首領の唯一思想だけが支配する北朝鮮で、言論の自由など考える事すら出来ない。同窓会や同好会の様なものまで絶対禁止されている所に、集会と結社の自由など話にならない。信仰の自由も規定されているが、首領の思想と異なる宗教が許されない事は言うまでもない」と、その様に明快に述べておられます。実際に憲法の下にある制度を調べてみますと、北朝鮮では全人民が平等どころか3つの階層に分かれて支配をされています。1つは「核心階層」。「核心階層」というのは、核心になる階層ですね、金父子の思想に染まって、その2人の為に命懸けでも闘うという風に言っている階層の事を言います。「動揺階層」というのが次にあります。中間でちょっとフラフラしている階層という事ですね。そして「敵対階層」というのがあります。「敵対階層」というのは、いつ捕まえられるかも知れない、いつ強制収容所に入れられるかも知れない、いつ処刑されるかも知れない人達の事です。「敵対階層」には、30のグループが支配されています。その30の中には、こういう人達が含まれています。1960年代以降、日本から戻った日系朝鮮人。1960年以降、日本の赤十字が中心になりまして「北朝鮮は税金の無い楽園だ、天国だ」という事で、帰国運動が取り組まれました。9万3000人の方々が騙されて北朝鮮に送られました。帰りました。その人達は「敵対階層」の中に入れられております。いつ拘束されても、いつ収容所に入れられても、いつ処刑されても、物も言えない階層。その他に、プロテスタントを信じてその宗教的儀式を行う者、カソリックを信じてその宗教的儀式を行う者、仏教を信じてその宗教的儀式を行う者、これが「敵対階層」の中に入っています。果して宗教の自由が本当にあるんでしょうか。驚くべき事に、儒教はどうでしょうか。北朝鮮は儒教の国である、という風に言われています。しかし、儒教を信じてその宗教的儀式を行う者も「敵対階層」の中に含められています。という事は、この国の中で無事に生きて行く為には、金父子一神教に殉ずるしかないという事なんです。これが果して、思想の自由が認められている国家でありましょうか。とんでもない国だと、私は思います。この事が、拉致問題の背景にはあります。そして、「敵対階層」の中には囚人の家族というものがあります。1人でも誰かが捕まったら、その家族は全部「敵対階層」の中に入れられてしまいます。

こういう恐るべき制度の下に北朝鮮の人々は暮らしていまして、300万人、人口は2000万人です。その内の300万人という事は、15%の人々が御飯が食べられずに飢餓に直面しています。そして、20万人の人々が強制収容所に入れられています。人口の1%、100人に1人は強制収容所に入れられているんです。そして、何十万人の人がこの国を逃げ出して難民となっています。この強制収容所の事を非常に詳細に報告した、アメリカのNGOのレポートがあります。「ヒドゥン・ドゥラーグ」という本です。

「ヒドゥン」というのは、英語で「隠された」という意味ですね。「ドゥラーグ」というのは、ロシア語で強制収容所の意味です。ソ連の、昔あった強制収容所と同じ様な収容所が隠されている。その隠されている収容所の中で何が行われているかという事を、詳細にこのレポートは述べています。このレポートは、間も無く日本語に翻訳されて出版される予定です。この中で、一節だけ引用させて頂きます。姜哲煥さんという方がいます。この方は、’60年代に帰国運動によって戻った家族、その家族が北朝鮮で生んだ子供です。御父さんは突然いなくなって、恐らく何処かで処刑されたと思われます。残された家族は強制収容所に入れられました。その人の体験が、この中に書いてあります。「逃亡を企てたり、食べ物を盗んで捕まった収監者の絞首刑や銃殺、又、時にはそれにより酷い形の公開処刑が行われている。逃亡を企てた収監者の公開処刑を目撃した。この人は車の後ろに縛り付けられ、集められた収監者の面前で死ぬまで引き摺られ、処刑後、他の収監者達はその傍を通り過ぎながら血塗れの死体に触れる様に命ぜられた。もう1人の収監者がこの惨状を見て叫んだが、直ちに銃殺された。銃殺執行隊による公開処刑を見た。この処刑の後も集められた収監者達は、体が縛られていた柱から垂れ下がっている犠牲者の死体に、石を投げながら通り過ぎる様に命じられた。死体を切断する様に強要された女性収監者の中には、気を失う者もいた。10年間でこういう処刑を15回見ている。時間を掛けて殺されるのを待つだけになる事を恐れ、自殺を図った収監者もいる」という事が述べられています。

「楽園だ、天国だ」と言って帰った北朝鮮という祖国は、正に生き地獄なのです。これが国家の政策によって行われているという事が、本当に恐ろしい事だと思います。私達は弁護士として、弁護士会として、或は人権団体の一員として、この問題を黙って見過ごす訳にはいかないという風に考えました。そして3年ほど前から準備を重ねて、「法律家の会」を立ち上げました。しかし弁護士会は、日本弁護士連合会という日本最大の強制加入団体、全員が入っています。この団体を、新潟弁護士会を除いては、この北朝鮮の人権問題、北の拉致問題に対して、極めて消極的な態度を取って来ました。横浜弁護士会も同様です。(今年)2月の17日(投稿者註:7日の誤りと思われます。)に「東北アジアの平和を考えるシンポジウム」というのが日弁連の主催で、日弁連のホールで開かれました。その集会のチラシを見た時に、私は慄然としました。その集会の基調報告者は立教大学の先生ですが、在日の方ですが、この方は、その当時、漸く日本に帰って来た5人の拉致被害者、「これを北朝鮮に一度返せ、これを返さなければ拉致問題も解決出来ないし、日朝間の国交回復も出来ない。日本政府が5人を返さない事が、日朝関係を良好にする為の障害になっている」という事を、本に書いておられました。こういう方が基調報告者なのです。どうしてこの人が、東北アジアの平和の為のシンポジウムの基調報告者に相応しいでありましょうか。

ここのシンポリストの殆ど、アメリカや日本に対しては大変厳しい意見を持っておられますが、北朝鮮には「太陽政策で行こう」という考え方の方が圧倒的多数でした。集会で、或るシンポリストは、学者ですが、この様に言いました。「北朝鮮で犯した日本の植民地支配の罪をきちっと償わない限り、将来、北東アジア共通の家を構想した場合に、日本は北東アジア共通の家の中に入れないであろう」と、この様に明言されました。私はこの学者に、「なるほど日本は入れないだろう。それでは北朝鮮は、今のままの人権政策を続けていても、その北東アジアの共通の家の中には入れるんですね」と言ったら、答える事が出来ませんでした。

そういう集会が、日弁連の名前で開かれようとしていたのです。私達はそれに対して、猛烈な反対運動を致しました。その結果、その基調報告をする予定だった学者は、出席を辞退する事になりました。実行委員会の事務局長は、更迭されました。そして、私と増元さんが、会場から合計10分間の発言をする事が許されました。そして、日本弁護士連合会、主催者団体の理事者は全員、この集会をボイコットしました。集会で一番最初に挨拶する予定であった本林徹会長(当時)は、挨拶を拒否しました。私達の運動は大変小さいのですが、私はこれは大変大きな成果だと思っております。私は、日本の弁護士会を変えて行かなければならないと思っています。確かに、人権問題と対立する国家との間の経済協力という事を、どの様に考えて行くかという事は大変難しい問題です。現に300万人の人が、北朝鮮では飢餓に直面しております。子供達が、孤児院の中で分けられています。もう病気になっていて助かる見込みの無い子供、何とかすれば生き長らえる子供、それが別の部屋に入れられています。もう助からないと思われた子供には、食事が与えられません。「無駄」だからです。そういう政策が、この国の中では行われているんです。お米を渡せと言いますが、渡したお米は一体誰が食べるんでしょうか。本当に貧しい人々の許には届きません。国連のNGOによっては、直接困っている人の許にお米を届けていますが、そのお米は、そのNGOの人達が帰った後に、警察または保安部の人によって取り上げられて軍に没収されています。

人権の問題と経済協力の問題というものは、併せて進められなければなりません。ヨーロッパで、物凄い人権侵害をしていた社会主義の国家が崩壊致しました。どうしてでしょうか。ヨーロッパでも2つの体制、社会主義体制と自由主義の体制の国家の間で、お互いに経済協力をする枠組みが作られていました。1975年にヘルシンキで宣言がされまして、作られました。ヨーロッパ安全会議という名前で両方の体制から入って来たんです。その時に、経済協力だけを進めて行けばいずれお互いの体制の違う国は仲良くなれるんだ、体制の違う国も自由を取り入れるんだ、人権を守る様になって来るんだ、という主張がありました。しかしヨーロッパの自由主義圏の国々は、この立場を取りませんでした。経済協力をする以上は、必ずその国の人々が自由に国境を越えられる、住む所を決められる、そういう最低限度の自由、収容所に政治的な理由で拘束される様な事の無い自由、こういう自由を保障されない限り経済協力は出来ない、という立場を取り続けたのです。その結果、経済協力が進み、自由主義の思想が東欧の社会主義国家の中に浸透し、ベルリンの壁が壊れたのです。

決してベルリンの壁は、ただの経済協力で壊れた訳ではないんです。人権問題というものをどうしても相手の国に認めさせる、という強い努力の結果としてベルリンの壁は壊れ、そして共産主義体制は崩壊したのです。これと同じ事が矢張り、東北アジアに於ても行われなければなりません。私達は人権主義の旗を降ろす事なく、そして、人権についての政策が変わらない限り経済協力には応じられない、という立場を確りと明言するべきだと、私は思っております。

先程、黄長さんの発言を引用しました。金正日の右腕と言われた人です。(韓国に)亡命して、アメリカでこの様に言われました。「北朝鮮問題とは、即ち人権問題と言っても過言ではない。北朝鮮の人権問題が解決しさえすれば、全ての問題が解決されると考えてよいだろう。人権問題は民主主義の核を為す。独裁国家が人権問題を受け入れる事は、自ら独裁を殺す毒薬を飲む事に他ならない。ソ連の崩壊に於て、1975年のヘルシンキ会議を契機にソ連側が人権問題に関する西側の提議を受け入れた事が、決定的な契機となったのは周知の事実である」。私と全く同じ意見を、彼は述べています。人権問題の旗を降ろさなかったからこそ、ソ連が変わり、社会主義圏が変わり、ベルリンの壁が壊れたんだ、という事を彼は言っている訳です。経済制裁についても、様々な意見があります。お米をやらないとか経済制裁をすれば、困るのは食べられない一番末端の人々だろうという意見があります。しかしそれがそうでない事は、先程申し上げた通りです。こういう話があります。

ネルソン・マンデラという人が南アフリカの大統領になりました。南アフリカでは長い事、アパルトヘイトといって黒人と白人を差別する政策が、国家の政策として行われ、白人と黒人は分かれて住まわされていました。人権も平等も無い国家でした。その時にネルソン・マンデラは、黒人の代表として運動を闘っていました。各国は、このアパルトヘイトに反対して経済制裁を実施しました。その経済制裁に対して、ネルソン・マンデラは国連でこの様に述べました。私にとって忘れられない事です。「経済制裁は、私たち貧しい者にとって大変大きな打撃になる。一番辛い思いをするのは私たちである。しかし、このアパルトヘイトを無くす為にそれが役立つのであれば、どうか各国の皆さん、経済制裁を即行して下さい。私達は自分達がどんなに苦しんでも、皆さんの自由と人権の為の経済制裁を甘受します。敢えて、皆さんにその継続を訴えます」。この様に、ネルソン・マンデラは国連で述べたのです。私は大変感動致しました。今、物を言えない北朝鮮の多くの人々がいます。その心を思い遣って頂きたい。確かに、経済制裁をする事は彼等を苦しめる事になるかも知れません、一時的に。しかし、今のこの国家の政策を変える事こそ、大事な事なんです。真っ先にやらなければならない事なんです。その為に経済制裁が有効であれば、堂々と日本は実施すべきであるという風に、私は思います。その様に、私達は、この拉致問題の根底にあるものは、北朝鮮に於ける人権政策にあるという風に考えて、この5月に『拉致と強制収容所』という本を朝日新聞社から出しました。『拉致と強制収容所』という本です。是非、余りお店に並んでないかも知れませんが、注文して御読み頂ければ有り難いと思います。

私は、まだ横浜弁護士会が目覚めていない事に憤りを感じております。是非皆さんの力をお借りして、横浜弁護士会を変えて行きましょう。全国の弁護士会を変えて行きましょう。全国の人権団体を変えて行きましょう。そして、大きな北朝鮮拉致問題を解決する、そして、その根底にある北朝鮮の人権問題を解決する為の道をですね、皆さんと一緒に切り開いて行きたいという風に考えます。御静聴、有り難うございました。(ページトップへ

 

崔祐英氏(通訳:宋允復氏)

皆さん、こんにちは。暑くないですか?今から韓国語で話します。(投稿者より:講演の冒頭、崔氏は日本語で挨拶されました。以下、宋氏が通訳された部分をアップします)
私は、’87年1月15日に北朝鮮によって拉致された、東進号という漁船の船員であった崔宗錫の娘であります、崔祐英です。そして現在は、韓国人拉致被害者の送還に向けて現場で闘っている、拉致被害者家族会の代表を務めております。こうしてその、日本人の拉致被害者救援活動に携わっておられる皆様の集会に私を呼んで下さった、武山章代表を始めとする皆様に感謝の意を伝えたいと思います。国籍は違いますけれども、こうして親しく、日本の皆様と同じく北朝鮮から同じ拉致被害を受けた当事者としてお話が出来る事を大変喜んでおります。韓国人拉致被害者に関してお話しするという段になりますと、韓国政府が政府として、或は国家として、それらしい行動が出来ないという点について言及せざるを得ない所がございまして、中々日本の皆様の前に分かる(様に話す)という事に困難がございます。韓国から見る日本の拉致問題の進展振りは、大変、言葉に出来ない程の、韓国人拉致被害者にとっては羨ましいものであります。

ところが、ここにいらっしゃる地村さんや増元さんの御話を伺いますと、日本の拉致問題、救出活動も大変大きな壁にぶつかって来たと伺いました。私も、日本人拉致被害者は必ず生きていると信じております。私はこれから、日本の拉致問題については言及する事は特に出来ませんので、韓国での拉致問題がどの様な状況になっているかという事、北朝鮮がどの様な態度を取っており、それに対して韓国政府がどの様な対応を取っているか、そして、今後の韓国と日本の連帯が如何に重要かという点について言及したいと考えております。今、韓国国内では、韓国人自身が拉致被害者問題について中々活発に展開出来ないという、大変遺憾な状況があります。そして、ささやかながらこの場で率直なお話を申し上げる事によって、今後の状況改善に些かなりとも繋がる事があればと念じております。先ず、私の父についてお話し致します。

私の父は、’87年に白x島(投稿者より:xは令へんに羽)という島の付近で、漁船として操業中に北朝鮮の警備艇によって拉致されました。当時、私はその事実を新聞やテレビの報道を通じて知りましたし、当時韓国政府は「比較的速やかに、拉致された12人は帰って来るだろう」と言っておりました。ところが、どうした訳か幾ら時間が経っても、私の父は戻って来ませんでした。当時、私は高校1年でありましたし、弟は小学校の2年生でした。当時、私ども家族は何度も韓国政府に御願いを致しましたけれども、韓国政府は「北朝鮮はこの問題について非常に消極的であるので中々時間が掛かる。ただ、国家としては最善を尽くします」という御答えを何とか頂きました。そして、私ども家族は父を懐しみながら13年を過ごしました。そうした或る日、私は或る新聞の記事を目にしました。それは、北朝鮮の劣悪な人権状況に関する記事でした。その記事の中身はですね、北朝鮮の政治犯収容所の中での劣悪な状況についてなんですが、それと共に韓国人の拉致被害者の中で、その収容所に送られている人間の名簿13人が掲載されておりまして、その中に父の名前を発見致しました。私は、まだ幼い時に父が連れ去られた事もあって、一体北朝鮮というのはどういう国で、そこに於ける政治犯収容所というのものは一体どの様な所なのかという事を知らずにおりました。私はその、父が収容所に送られるに至るまで一体韓国政府は如何なる対応をしたのか、そしてこうしたとんでもない情報を国家から聞くのではなくて、偶々、偶然に新聞記事を通して知るに至った。それによって韓国政府のあり方というものに対して疑問も抱く様になりました。その様にして私は北朝鮮について知る様になりましたし、私の父以外にも朝鮮戦争以降、北朝鮮に拉致された韓国人が486人に上るという事を知るに至りました。

日本の拉致被害者の皆様と韓国は大変状況が違っておりまして、韓国人の拉致被害者の家族の場合には、自分の親しい友人にもその事実を打ち明けられないという状況があります。その様な状況の中で、父を救って欲しいという訴えの声を挙げられずにおりましたが、’99年に、日本でも拉致被害者家族が訴えの声を挙げているという事を知りました。当時、日本の拉致被害者の家族の皆様は、支援団体と共に力を合わせて、北朝鮮に奪われた家族を救う為に全力を尽くし始めていました。そうした姿を拝見しまして、韓国でも拉致被害者家族が力を合わせて闘えば、いつかは家族を取り戻せるのではないか、という希望を抱く様になりました。

そうした面から見ますと、今に至るまで韓国で拉致被害者の集い、家族の集いが活動を持続出来ているのも、日本の皆様のそうした熱心な姿があったからこそだと言えると思います。日本人の拉致被害と韓国人の拉致被害の差異について考えてみますと、一番初めに思い浮かびますのが、日本人拉致被害者の場合、拉致された当時、大多数の方々は公の事件としては報じられていなかった。ところが韓国人拉致被害者の場合、大多数が民間の船員でありますから、漁船が拉致された当時は既に、新聞記事でもテレビ等でも報道されておりました。第二には、日本の拉致被害者の皆様は、政府から特に人権侵害を受けるという状況は無かったと存じていますけれども、韓国人拉致被害者の場合は、韓国政府から監視を受ける状況がありました。’68年7月27日に北朝鮮によって拉致された、チョンジン号の船員に関する話です。この漁船員が拉致される迄は、その家族は大変仲睦まじく暮らしておりましたが、父親が拉致されて以降、若い母親と、当時中学1年生だった長男が家計を担わざるを得なくなりました。そして、当時その長女の姉が大学を卒業して教師の資格を得ていたのですけれども、父親が北朝鮮に拉致されたという事によって教員としては正式採用されずに、就職が出来ませんでした。その漁船員の母親は失意の内に世を去りまして、暮らし向きはどんどん貧しくなって、絶えず空腹と闘うという状況でした。苦痛はそこで終わる事はありませんでした。当時韓国では夜の12時以降は通行を禁止するという、そういう時代があったんですけれども、この長男が通行禁止令違反で捕まるという事件がありました。そうして逮捕されて以降、偶然、北朝鮮について言及する事があった為に、その長男という人間が北朝鮮のスパイとして処理されるという事態になりました。当時17歳で捕まったその長男、実質上の家長でありますけれども、その家長は北朝鮮のスパイとして拷問と暴行を受ける日が続き、とうとう二十歳にならずに世を去ってしまいました。そして一番下の末っ子の弟はですね、高校を卒業したのち、軍に入隊して将来は将校になる事を夢に描いていましたけれども、軍に入隊する事すら許されませんでした。

この様に、韓国では1960年代〜70年代を通じて、拉致被害者家族が連座制によって、国家から政府から人権侵害を受けるという時期が長く続きました。しかもですね、北朝鮮から漸く逃げて戻って来た拉致被害者がいたんですけれども、それも韓国政府の酷い拷問によって、大部分が死んでしまったという事です。そうして見ますと、拉致被害者当人が北朝鮮で人権を迫害されたという事もありますけれども、韓国に残された家族も韓国政府から人権を侵害された。朝鮮半島全体が、言わば人権の死角地帯になっていたという状況が長くあった訳です。北朝鮮の対応を見ましても、日本人拉致については色々弁明を並べ立てておりますが、いずれにしても認めた訳です。ところが韓国人拉致については「そんな事はあり得ない、無いんだ」という拒否、否定で一貫しております。北朝鮮体制を自ら進んで選んで北朝鮮に入って来た人間達である、と。大部分が北朝鮮で住む事を自ら望んでいるんだ、と。ラジオではそうした主張で一貫しております。しかしながら現在には既に、北朝鮮がそうした拉致というテロ行為を行っていたという事は、世界のまともな良心的な人達の目には、ほぼ明らかな事となりました。今や、日本人拉致問題では大きな進展がありました。その10分の1でも、同じ民族であると主張するところの韓国人拉致被害者に対しても、あって然るべきだと思います。拉致は、20世紀最悪の人権蹂躙です。今、北朝鮮は「南との和解と平和の為に様々な活動をする」と主張しておりますが、真に和解と平和を望むのであるならば、先ずこの拉致被害者問題から解決すべきであると思います。

私が繰り返し申し上げる迄もなく、北朝鮮が異常な国であるという事は、皆様よく御存知だと思います。問題は韓国政府です。過去50年に亘って私ども拉致被害者の家族は、韓国政府から酷い人権侵害を受けて来た訳ですけれども、只の一度も正式に韓国政府から謝罪を受けた事はありません。そして金大中政権以降「太陽政策」を標榜し、南北間の「和解と平和」の雰囲気を醸成しております。ところが、北朝鮮側では「韓国人拉致被害者なるものは存在しない」という主張で一貫していますが為に、韓国政府としては「朝鮮戦争時の南北離散家族に拉致被害者も含めて対応するしかない」と主張しています。嘗ては、韓国政府は「北朝鮮が韓国人拉致被害者など存在しないという主張をしているが為に、中々解決が難しい」と言っておりましたが、最近になっては「北朝鮮がそういう主張するのであるから、離散家族として対応するしかない」と言うに至りました。これは、北朝鮮の嘘をそのまま受け入れる、そうした政府のあり方だという事を自ら示している訳です。

2番目の問題としては、韓国国内で、こうした拉致問題に関して、政治家や言論人たち知識人が、大変、声を挙げないという状況があります。拉致被害者家族当事者以外は、誰も積極的に声を挙げようとはしておりません。ところがですね、北朝鮮から送り込まれたスパイで、日本の皆様も御存知の辛光洙、こうした非転向長期囚と言いますが、彼等を北朝鮮に送り返す運動に関しては、韓国では何と25もの団体が出来て活動をしております。非転向長期囚というのは、北朝鮮で徹底的に訓練されて韓国に送り込まれたスパイ達です。一方で韓国人拉致被害者は、ただ単に家族の為に漁船に乗って働いていた漁船員達です。ところがどうした訳か、その非転向長期囚の人権は、大変な人権問題として韓国国内で多くの活動が為されているのに反して、韓国人拉致被害者に関してはこれといった運動が見られないというとんでもない状況、全く理解出来ません。金大中大統領は2000年6月の南北首脳会談に於て非転向長期囚の人権について言及し、結局、非転向長期囚60余名全員を北朝鮮に送還致しました。そして最近に至りますと金大中・元大統領は、日本人拉致問題を積極的に解決せよ、とメディアを通じて言明致しました。しかもですね、(投稿者:聴き取れず)といって、盧武鉉大統領自身は所謂「人権弁護士」の出身であります。大統領になる前、海洋水産部長官の時代に、韓国人拉致被害者家族と面談した事があります。当時、盧武鉉氏は「この拉致被害者問題は、絶対に解決されなければ問題になる」と言って、拉致被害者家族達を激励しました。しかもですね、「金大中大統領の『太陽政策』を改善して、私は政策を展開するんだ」と言いました。私は、拉致被害者、脱北者、そして北朝鮮住民達の人権というものを包摂した太陽政策であってこそ、真の太陽政策となるんだと考えます。この間、数回に亘って、大統領との面談を実現しようと働き掛けて参りましたが、只の一度も実現しておりません。この数日前、日韓首脳会談後の会見で、盧武鉉大統領は次の様に述べました。「北朝鮮核問題の解決に向けた日本政府の努力は、大変なものがある。日本と北朝鮮との間での信頼関係醸成を通じて核問題は解決されなければならないが、日本は既に拉致問題という大変困難な問題を解決している」。そういう言及を通じてですね、真なる信頼と協力を為すには、先ず困難な問題を解決しなければならんという認識を自ら示した訳です。

盧武鉉さんは韓国の大統領なんですが、隣国の日本の拉致被害者問題については言及し、また北朝鮮から送り込まれたスパイ達、非転向長期囚については言及しながら、韓国人の拉致被害者問題については只の一度も言及しておりません。私は、今年開催された、日本の拉致被害者の皆様の国民大集会に参加させて頂いて、日本人拉致被害者の家族の皆様が、日本国民からどれほど愛されているかという事を感じました。韓国では、未だ拉致被害者問題が韓国民の支援、愛の下に展開されている運動ではありませんけれども、いつの日かそうした日が来る事を信じております。

私ども協議会では、この拉致問題を韓国民に知らせる為に、様々な行動を致しました。2000年の2月25日に団
体を結成しましたが、結成当時、韓国民の多くはこの拉北者、北朝鮮に拉致された者達というのを略して拉北者と称しているのですが、この言葉について知りませんでした。先ず私どもは、そうした存在があるという事について啓蒙するところから始めましたし、日本の拉致被害者救出運動の皆様との連帯を通じて、拉致被害者の送還を求める記者会見も行いました。そして、韓国政府が所謂「太陽政策」を推進して以降は「私ども拉致被害者家族もそうした『太陽政策』の恩恵を蒙りたいんだ」という声明を出しました。そしてこの、日本の皆様との協力について申し上げますと、ここにいらっしゃる増元様や、荒木様、そして私の3人が、スイスにあります国連人権委員会に訪ねて行って、生死確認を要請するという行動も一緒に行いました。韓国国内でも世論を喚起する為に、統一部長官との面談を行いましたし、政府が、北朝鮮との高位級会談に於てはこの問題を最優先課題として言及するよう求めました。そして金大中大統領と統一部長官や他の国家機関に対して、自国民保護という責務を国家として放置しているという点、あと、非転向長期囚は送還しながら、韓国人拉致被害者については只の1人も送還を受けていないという点を挙げて、国家賠償請求訴訟を提起致しました(投稿者註:2002年1月救う会ニュース参照) 

そして今回、その審議、裁判が始まったのですけれども、国側はですね、まだ資料が調っていないという弁明を並べて、弁論の期日が先延ばしにされております。韓国に於ては拉致被害者問題に関する法体系がありませんので、憲法訴訟としてやらざるを得ないという、大変困難な面があります。拉致被害者家族の大多数は、国家を相手に裁判を起こすという事に対して躊躇っておりますし、しかも法的な枠が無いという事で、これは負けるしかないんじゃないかと大変悲観的に見ております。それにも拘らず私どもがこうした訴訟を起こした理由はですね、国家、政府が明確な意思を以てこの問題に当たって欲しいと促す意味が1つと、また、司法がこうした大韓民国の自由と人権に係わる事案に関して、どの様な判断を下すのかを見ようという意図があります。最も最近の活動に関して申し上げますと、小泉首相の第2回目の北朝鮮訪問に際して、日本人拉致被害者問題に併せて韓国人拉致被害者問題についても、小泉首相の口から言及して頂きたいという御願いの手紙を、超党派議員の集いの代表である平沼赳夫先生宛に託して、小泉首相に伝達して頂きました。そして、現在準備を進めております事は、こうした自国民保護という大変重要な責務を遂行する上で先頭に立って下さる国会議員の先生を探す為に、アンケート調査の準備を進めております。

そして、私ども4年に亘る活動で願っていた事は、この神奈川救う会の様に、韓国に於ても拉致被害者家族を支援する、そうした組織を作りたいという事でありました。そして、そうした準備の会合を非公式に5回ほど重ねておりますし、私ども協議会の希望としては、年内にそうした団体を作るという事を考えております。国籍は違いますけれども、この問題に於ける韓日間の連携は大変重要だと思います。勿論、私どもが日本の皆様に支援を御送りするという事は稀でありまして、日本の皆様から支援を受ける方が遥かに多いだろうとは思います。

韓国国内では、こうした拉致被害者の声を聞こうという姿勢は殆ど見受けられません。寧ろ、隣の国の日本の皆様の方が、こうした韓国の拉致被害者の声に耳を傾け、何か(投稿者:聴き取れず)して下さるであろうと感じます。日本の拉致被害者問題の進展振りについては、韓国のメディアでも連日報道されております。そうした事に刺激を受けて、韓国国内の政治家や知識人達も、この韓国人拉致被害者問題解決に向けての思いを、段々段々語って行くのではないかと期待しているところです。

日本がこの拉致問題を如何に解決するかが、韓国人拉致被害者486人の運命にも大きく影響すると思います。まだ、増元るみ子さんを始め、安否不明者10人の真相が未だ究明されておりません。今、何故か小泉首相が北朝鮮との国交正常化を急いでおられる様で、これは安否不明者10人に関して必ずしも積極的ではない様な、その真相究明に関して積極的ではない様な印象を、私は受けています。小泉首相の姿勢変化を促すのは、飽くまで拉致被害者に対して愛情を抱いて、その生存を信じ続けている日本の皆様の力だと思います。日本の皆様の安否不明者の真相究明と併せて、私どもの韓国人拉致被害者の救出にまで、日本の皆様が関心を抱き続け、共に道を歩んで下さる事を心から願っております。私も、この場に集って来られた皆様の熱気に触れて、また韓国に帰って韓国人拉致被害者の真相解明、救出に向けて力を尽くして参ります。長時間、御静聴下さいまして有難うございました。(ページトップへ

 

地村保氏

福井県の小浜からやってまいりました地村でございます。
私は皆さんのような難しいお話は出来ないんで、私のやってきたこと、23年間やってきたことをそのまま言うだけの話しで、チラシに書いてあるような講演というような実りのある話しではないんでございます。皆さんもあくびをさせないよう私のやってきたことだけど聞いていただきたいと思います。

うちの息子達が昭和53年の7月7日に拉致をされて、その当時は北朝鮮が関与した拉致というようなことは全然思いもよらなかったんです。ただ事故かなぁと思って、福井県内をずっと海岸淵とか京都との境まで、ずっと、3月くらいは探しに行っておったんですけども。事故の形跡もないもんだから、ちょうどその頃、日本海近海に不審船が出ておる、そして工作員が日本に上陸して暗躍をしているような産経新聞の記事を見まして、3月ほどの間、事故やないかと思いまして、探してまいりましたけども、駐在所にいってもそういうような事故の報告がない、いうことで、これはもう外国の、その当時は北朝鮮と言わずに不審船と言ってましたけども、段々、新聞を見ていますと、北朝鮮の工作船ということで、私はもうこれはてっきり北朝鮮の関与した事件やと、私なりにそう確信しました。
息子は非常に強く育てたつもりですから、どっかで生きてるということを信じておりました。どっかで生きてるという信念で、これは助けてやらなくてはいかん、と思ってずっと23年間、生死もわからなかったけれども、息子を信じておりました。だから、23年目に、皆さんのお陰で、また皆さんの協力をいただいて、23年目に息子が帰りました。本当にありがとうございました。

その翌年の24年目(ママ)に3人の孫たちも、皆さんの協力と北朝鮮の拉致ということに国民の皆さんの関心があがったことで、総理に再訪朝していただき5人の家族達を取り戻すことが出来ました。これ一重に皆さんの協力と応援のお陰やと思って、本当にありがたく感謝しております。お礼の言葉もございませんけれども、皆さんのお陰で息子達、また孫達までも返していただいたことに、厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

帰りました孫達が、上で22歳の長女、20歳の長男、16歳の次男。もう向こうで生まれて、北朝鮮で育ったのやから、こりゃもう反日反米の思想をたたき込まれて、難しい顔をして帰ってくるやろと、私はそれを一番心配しておったんですけども、一目見たときに、総理が再訪朝、22日のトップ会談の模様を、22日の晩の11時半ごろまで、総理のトップ会談の模様を聞いておりまして、こんな遅くなってはもう孫も寝てるやろと思って、私は22年目にして初めて見る顔やから、寝とっても構わんからちょっと寝顔だけ見ようと思って、孫達の顔を見ましたところ、孫達は、私はドアを開けてこんばんわ言うて入ったら、孫達はホテルの窓に、東京の夜景を、もう窓に張り付いて、ヤモリのように張り付いて、珍しそうに朝鮮語で、わあわあわあ、話していましたけども、私は何にもわからんもんやから、ぼやっとしておったら、次男が、皆さんテレビや新聞で見るようにやんちゃ坊主で、キョロキョロしておりまして、私の顔を見まして、ああこれは僕によう似た、エテ公みたいな人が来たなぁ、と思ったようで。私に近寄ってきて、なんか血が通ってるように思ったんやろうと思います。私に抱きついて来まして、そうしたら長男も長女も私の顔を見まして、走り寄ってきまして抱きつきました。そしたら富貴ちゃんが、お父さんのお父さん、おじいちゃん、というようなことを朝鮮語で通訳してくれたように思えます。そしたら3人とも、おじいちゃん、言うて、なおこう力を入れて、腰に手を回しとったのを力を入れて、抱きついてきました。その時に、初めて私は24年間、北朝鮮に生まれて北朝鮮に育った子が、これだけ利口に育ってんのなやろかなぁ、と私は本当に嬉しかったです。孫は目に入れても痛くない、というのはこのことか、と私は初めて孫の顔を、皆さんのお陰で24年目に初めて体験しました。本当に、あの嬉しさ、またなんと言っていいのか、血が通っているのか知らんけども、そういう関係で、向こうと日本と離れて暮らしておっても、血が通うとるというか、本当に家族の絆というかね、本当に初めて26年もの間、一回も会わずの人間に抱きついて来たということは、やっぱり血が通っているんだと思って、この有り難い嬉しい気持ちは、国民の皆さんの協力と支援のお陰で、総理が連れて帰ってくれた。本当に有り難かったです。

その孫達の顔をじっと見て、お互いに抱き合いましたけども、私ら、蓮池さんもそうですけども、これだけ一家揃って、孫達の顔も見られた。こういうことを私らはまぁ、ほっとしましたけれども、今、そこにおられる増元さん、また横田さん、有本さんなんかの親たちの顔がすぐ浮かびまして、8年間、励ましあって、慰めあってきました人たちの顔がすぐ浮かびました。私らは、蓮池さんもそうですけども、孫も帰ってきたたから、これでええなと、いうような気持ちはさらさらわかなかったです。実際のところ、私は蓮池さん、こちらに増元さんもおられますけども、増元さんのお父さんの正一さんが亡くなりましたけども、私は正一さんとは本当に3日にあけず電話をしよって、増元さんなんか連絡ありましたか、と言ったりして、もう大変、力づけをし、また励まし合ってきたのでございました。あの正一さんの顔をすぐ浮かびまして、これはいかん、私らだけが、また帰ってきた者がこれでええんやないんや。まだ10人の未帰還の人がおる。この人達を解決するまでは、私らはがんばって、不明確な人10人、特定失踪者の400人近い人らの解明をするまでは、私らは、自分だけ万歳をするわけにはいかん。そういう気持ちがわきまして、私は24日に小浜に孫達を一緒に帰りましたけども、28日には長野の善光寺さんにお参りがてら、長野の救う会の署名運動にも私、ぜひ参加させてくれと。10人の不明確な人の解明も、特定失踪者の方の解明するまでは、そりゃ私らが、帰ってきた者らが表に出てがんばって解決をしなければ申し訳ない。そう思いまして、28日から長野の方で、署名運動に参加させていただきまして、今、現在も奈良県で、大阪で署名運動に頑張っております。

帰ってきた保志や富貴恵も、また20歳以上になった長男も長女も、これは表に出て活動せなあかん。国民の皆さんのお陰で、お前達は帰らしてもらったんや、と。その恩返しにお前らは表に出て父ちゃんの後を継いで活動せにゃあかんぞ、と言うて私はおるんですけども、本人はまだ帰ってきた子供の日本語の勉強に一生懸命になっております。今、昨日も会って来ましたんですけども、一生懸命に日本語を勉強しております。行くと「おじいちゃん」とか「こんにちわ」とか「また来てね」とかいうような日本語を、もう覚えております。日本に馴染んで、日本語が話せるようになれば、お世話になった人たちのお礼にも回らなならんぞ、ということを言うております。おそらく、日本語が普通に話せるようになればお礼に来ると思いますんで、またその折りには10人の未帰国者、また特定失踪者の解明のための署名運動にも参加すると、私は思いますんで、また、行動しなあかんぞ、ということも言うてあります。私も24年間、生死もわからぬ息子達のことをやってきましたけれども、孫たちも帰りましたけれども、今、新幹線に乗っても、電車の中でも、「おい地村さん、ご苦労さんやった、よう頑張ったな」と褒められるますけども、私は決して皆さんに褒められるようなことをした覚えはないんです。なんでこんなこと言うんやろなと、私は人間として、子のために親が動くのはこれは当然やないか思うて動いただけです。私の家内も、保志が拉致されてから、1年半後に心労からきた脳梗塞で倒れて動けなくなりましたけども、その世話も私は、これは自慢にはならんのですけども、夫婦というものは、死ぬまでお互いに助けあうて、面倒見るのが当然やと思いまして、私一人で家内の面倒を23年間見ました。その23年間の、半年後に保志が帰りましたけども、家内に一目、あれだけ片言で「やっちゃん、やっちゃん」言うて、不自由な手で、保志の写真を取ってやると懐に入れて、「やっちゃん、やっちゃん」言うた言葉が私はまだ頭の中に残っておって、せめて一目会わせてやりたかったなと思っておりました。これも人様に対して、自慢になるようなことをした覚えはない。ただ、自分はこうせなと、信念と根性で私は、保志や富貴ちゃんを助けるためにがんばっただけでございまして、親として当然なこと。また、夫婦として当然なことをしただけでございまして、皆さんにそう煽てられるようなことをしたとは思わんのでございます。ただ、皆さんがあまりにも長い期間、この拉致問題の解決に私が署名運動なんかを一所懸命やったのを見ていてくれた、ご苦労さんやったな、ということで私は受け入れておるんです。私は24年間、息子達、また孫達の顔を見ることが出来ました。本当に皆さんに対して、お礼の言葉もないんでございます。

しかし、政府には最近、この日朝交渉を再開する、まだ10人の未帰還の人、特定失踪者の拉致問題が残っておりながら、日朝交渉をするような気配が政府の上層部でも、新聞やテレビで見ておりますけども、もってのほかやと私は思うんです。拉致問題がすべて解決してこそ、日朝交渉をするべきであって、こういう時に、もう日朝交渉をして、国交正常化すると、いうようなことはもう常識やないことやないかと思っております。これが家族会の、日朝交渉は拉致問題が解決するまでは絶対してはならん、と政府にも言ってまいりましたけども、もう5人の家族が帰ったら日朝交渉するという気配が私は 見えていますので、家族会が一丸となって、阻止せなあかん。また皆さんに訴えて、日朝交渉は10人の未帰国の人、また韓国でも400人近い離散家族として名前をあげてますけど、拉致問題です。この解決をする間では日朝交渉をしては駄目だということを、私は家族会の皆さんと一緒に闘うつもりでございます。皆さんも拉致問題が解決するまでは、もう一踏ん張り、私達家族会と力を合わせて、拉致被害者家族の力になってやっていただきたいと思います。私は世界情勢がどうやこうやという難しい話しはわからんのでございますが、私なりの考えを皆さんに訴えてこれから、まだ残っている日本での拉致問題、10人の未確認の人、特定失踪者の解決のために、それが済むまで、絶対に日朝交渉してはならん、いうことを皆さんに訴えまして、どうか皆さん、拉致被害者家族のために、力を貸していただきたいと思います。

私も24年間、拉致被害者家族として運動して来ましたが、なかなか解決も出来なかったけれども、皆さんのお陰で24年間待ちましたけども、皆さんのお陰で私の念願が叶いました。まだまだ悲しいし心配な家族がまだまだおるのでございます。どうか皆さんの協力を必要といたします。どうか日本から、またこの神奈川の会から声を挙げて、拉致問題解決するまでは、絶対に国交回復してはならん、また経済制裁をし、船舶の入港禁止をせよと声を挙げていただきたいと御願いをいたします。

私はこのくらいで話しを終わりますが、本当に息子達の帰国のために、力を貸していただきましたこと、厚くお礼を申し上げまして、私の挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。

*注 地村さんの言う「日朝交渉」は「国交正常化」を主眼とした交渉、拉致問題を切り捨てた交渉というニュアンスで語られています。後で、増元さんの講演の中で「日朝交渉」そのものは家族会も認めている、と訂正がありました。(ページトップへ

 

増元照明氏

 こんにちわ。家族会事務局次長の増元です。
この度、皆様ご存じのように東京選挙区より立候補いたしましたが、どうも笑ってニコニコしながら言える選挙でなかったものですから、いつも常に怒った遊説をやっておりました。でも、本当に立ち止まっていただいて大勢の方が涙を流しながら、聞いてくださった方もいらっしゃいますし、382881、決して軽い票ではないと自分では思っております。下手するとトップ当選した中川さんよりも、100万よりも重い票をいただいたなと自分で思っております。本当に皆さん、大勢の方から励ましのメールやら手紙がいっぱい来まして本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

なぜ選挙に出ようと思ったのか。それはやはり平沢先生とか山拓さんとか、それから政府の動き、それを見てるとどうしても日本はおかしい、動きがおかしい。そういう中で国会の中に入ってやるべきことがある、と私は思っております。今でも多少そう思ってるんですけども、とにかく特定失踪者の問題。これを認定していかないんです、日本という国は。今、田中実さんと小住健蔵さん、これは警察庁が官邸サイドに認定をお願いしているというか、あげたんですけども、官邸サイドでそれを止めています。前は福田さんが止めていたんですが、今は福田さんがいなくなって小泉総理の所で止めているそうです。なぜ止めるのか。それは、10件15人以上、増やす、増やしたくないという日本政府の意向があるようです。なぜなら、それ以上増やすと泥沼になってしまうという、なんか日本の政府が拉致問題を早く終わらせたい、幕引きにしたいという思いが垣間見えるんです。

そんなことをしていたら、この国はおかしくなるんではないか。まず私たちの国は国家主権を侵されて、そして人権を侵害されて、まだ一回も金正日に対して、抗議をしていません。これがこの国の在り方でいいのか、ということなんです。抗議をすべきことはしなくてはならない。二十数年前、それ以上前から、北朝鮮という国が拉致をしていたのはまず間違いないし、金正日はすでに拉致を認めた。それなのになぜ抗議もしないのか。ただちに返せと言わないのか。言わなかったのか。1年8ヶ月も、子供たちを取り戻すのに時間がかかってしまったということ自体が、この国がおかしい国だということを如実に表しているのですが。それはやはり被害者が10月15日に帰って、日本で子供を待ちたい、家族を待つと意思表示をした時点から3ヶ月以内には、強く抗議して、そして取り戻すべきだったんです。それに応じなければ経済制裁でもなんでもしなければならなかった。それをただ単に、待ちの状態に入って、北朝鮮の、向こうの誠意を待ってるとおっしゃってましたけども。あんな国に誠意があるわけないんです。北朝鮮の金正日はいまだに、本当に謝罪はしておりません。確かに小泉さんには拉致を認めて謝罪らしき言葉は言ったのかもしれないが、本当の反省、謝罪をすべき相手は拉致被害者本人であって、日本にいる拉致被害者家族に対して直接の、直接会ってではなくてもいいんですが、とにかく電波を使ってでも直接の謝罪をしなければならないし、朝鮮人民に対してもこの拉致という問題を朝鮮国家がやったということを公表しなければならない。そう思ってますけども、それをまだやっていないということは、本来の謝罪はしていないし、反省もしていない、ということです。ということはこれから先もまだやる可能性があるということなんです。日本という国がそれに対して、二十数年間も放置したことを、そして取り戻せなかったこと、そのことについても被害者本人には謝罪していません。ということは日本の政府もこの拉致問題の解決出来なかったことを反省していないということなんです。先ほど言ったように、もう一度北朝鮮がやってきても同じようなことをやってしまうんです。まず日本の政府が本来の反省、謝罪を拉致被害者本人にすべきではないかと、私はそのように考えております。

今日、ワッツニッポンでご覧になったかもしれませんが、官邸サイドは10人に関する死亡、北朝鮮もそのような10人に関する死亡情報を政府に伝えているという話もありますが、5月22日以降、官邸は10人に関する死亡情報を徐々に流し始めています。これは北朝鮮から言われたものなのか、それとも独自に官邸サイドが単に流し始めたのか。ただ、日本の政府はそれに対して全く検証していませんから、ご存じのように検証していたら、目に見えるはずですが、全く目に見えないということは検証していない。ただ北朝鮮に言われた、ただそうですか。それを国民の皆さんに流し始めている。なぜなのか。10件15人で、すべて拉致問題はこれで解決なんだ、と。5人は取り戻したし、5人の家族もとりあえず帰国出来たではないか。あと10人に関して、死んでしまっていたら、この拉致問題はこれである程度の幕引きになるんだという、この国民の皆さんの雰囲気作り。そのために10人の死亡情報を流し始めているんだという風に私たちはとらえています。それをまず私たちは政府に抗議しなくてはならないんですけども、今、救う会・家族会が何をやろうとしてるかというこれからの運動方針として、北朝鮮が言ってる2つの嘘、金正日が言ってる2つの嘘。つまり8人の死亡説ですね。これに関して今、そのチラシにもありますけども、9月の末に調査団が向こうに行ってもらった書類の中の疑問点、それに関して皆さんに詳しくそれに書いてありますが。だから、北朝鮮の言ってることは嘘なんだという、また新しい死亡情報が出てきた場合にそれに対する対処法も考えておかなくてはならないだろうと。さらに15人のうち13人しか拉致していないということを、まずこの嘘も打破しなくてはならない。先ほども言った田中実さん、小住健蔵さん、あと寺越の3人、それから福留貴美子さん、この6人に関しては、まず間違いなく北朝鮮が拉致していますので、このことを政府に強く言って北朝鮮サイドに聞いていただかなくてはならない、ということです。これが新運動方針としてあるんですけども。やはり日本政府がいつ拉致が始まって、そして何人拉致されているのか。これを把握していないというこの状況の中では、やはり金正日が指令して、そして3号庁舎というところが行ったこの拉致。金正日は拉致強化指令を出したみたいです。金日成のもとでも多少の拉致はあったようですが、とにかく1976年に金正日が3号庁舎を把握して出した指令が拉致強化指令だという。これは安明進が証言してますのでまず間違いありません。金正日政治軍事大学で教えられた時、金正日の国家的事業の成功例としてたたき込まれると。金正日を賞賛するのに使われる教材として、1976年の金正日拉致強化指令というのを教えられたと言ってます。それと3号庁舎。今、2つとも現存してるわけですから、必ず拉致被害者の資料を持ってます。それを出させれば一番早いんです。それを出させるためには、ずっと嘘を突き通してきた金正日が9月17日に認めざるを得なくなった、それに似た、さらにそれ以上の圧力を加えていかなくてはならないと私たちは考えています。それを今回、小泉さん訪朝では、圧力のカードを一応捨ててしまいましたけども、平壌宣言に則ってという風に、遵守する限りという風に小泉総理も言っておられますが、逆手にとって平壌宣言にサインする際に、文言には書いてありませんが、北朝鮮サイドは拉致問題の解決のために誠心誠意協力するという風に平壌宣言の前段階の折衝の時に言ってます。ですから、北朝鮮がこの拉致問題の全面解決に誠意ある協力をしないとか、そういう事象が出てきた場合、それをもって平壌宣言に則っていないということに、言えることは言えるんです。だから、その言葉を使って、経済制裁というカード、これを持っていただくしかない。これが持てないのならやはり小泉さんには変わってもらうしかないんですが。あのう、代わる政権が今いないというのが、残念なことなんですが。小泉さんがあまりにも人気がありすぎるんですが、私たちも5月22日に、赤坂プリンスホテルで結果を聞いた時に、皆さんもご存じのように私たちは非難をしました。小泉総理に対して。心からの怒りがあったからですが。一番最初に代表が小泉総理に「再訪朝していただいて感謝申し上げます」と、それから皆さんもその発言の一番最初には感謝の言葉を述べて、そして自分の言葉を言ったのですが、それがなかなかうまく操作されたみたいなんですが、でもあの赤坂プリンスの中にいた皆さん、ジャーナリスト、報道関係の人たちがみんなあの時に怒っていたんです。で、あの怒りがそのまま外の空気だろうと思ってたら、報道関係の方が本社に帰ったら、なんでみんなあんなに怒ってるんだ、というそういう。新聞社とかテレビ局の本社とか本局でさえ、そうだったようですので、私たちもあとで聞いてビックリしたんです。やはり本当のこの拉致問題の本質というものがわかっていただけなかったのではないか。拉致問題、家族だけの問題だけではない、家族がかわいそうとういそれだけの問題ではない、この国が100人以上の拉致被害者を助けられない国であるということ。そして100人、200人を助けられない国が1億2千万を守れるか、守れないか。当然、守れない国である。それが問われている問題なんですが、それに関して、私たちはこの国のトップの在り方として、こういうやり方はだめだと常に言っていかなくてはならないですし、22日に赤坂プリンスで家族会がありがとうございましたとか、満足してますとかだけ言っていたら、拉致問題は確実に集結に向かっていたと私たちは考えています。これからも私たちはやはり100人以上の拉致被害者を取り戻すために、がんばっていかなければならないですし、ぜひ国民の皆さんに一緒に闘っていただきたいと思っています。

今、小泉さんが任期中に、とにかく日朝国交正常化、さきほど地村さんがおっしゃってましたが家族会は日朝国交正常化交渉は一応認めております。ただ去年の9月の段階で、去年の7月31日に開いた専門幹事会の中で、8人(帰国者の家族8人)をまず取り返さなければ日朝正常化交渉を行わないという風に決めております。さらに8人を取り戻すために見返り的な食料支援はしないという風に、これは準閣僚会議で決まったことですから、それが変わったということは何も聞いていません。今回小泉さんは見返り的な25万トンの食料を与えるという約束をしてしまった。それで8人が帰ってきたとしても、その準閣僚級会議の決定を無視しているわけなんですね。でも去年の段階ではその準閣僚級会議の決定を受けて、藪中局長が家族会の前で言われました。我々も8人を取り戻す、そして国交正常化交渉となったら10人は見捨てられるではないですか。特定失踪者の問題は見捨てられるでしょう、と激しくやり合ったんですが、藪中局長はその時、机をたたいて日本政府を信じてください、と言ってました。必ず国交交渉の一番入り口の所で10人に関して北朝鮮政府に突きつけます、100人に関して突きつけます。そして北朝鮮政府が誠意ある対応をしてこなければ机を蹴ってでも帰ってきます、日本を信じてください、と机をたたいておっしゃった。だから、その言葉を一応は信じて我々も、とにかく8人を取り戻すことを最優先とし、そしてそれからの日朝国交正常交渉の再開も認めました。しかし、今回、小泉さんが準閣僚級会議の決定をご自分の意見だけで覆されてしまったということで、非常に不安視はしています。でも、交渉しなければ、日朝交渉しなければ、まったく話し合いも出来ない、で、経済協力の話はそこではするべきではない、拉致問題の解決、それを先に持ってきていただかなくてはならないし、やると言った以上、藪中さんにもそれはやってもらうつもりです。そういうことが出来なくてただ単に日朝国交正常化交渉、そして日朝国交正常化をやるような国であったら、私たちはまた官邸前で、今度は命がけでハンガーストライキでもなんでもやります。ぜひ皆さんにも一緒に参加していただきたいと思います。大勢の方があそこで道路をとめるような形でもいいから、そういう行為に出るということがやはりこの国は民主主義の国ですが、国民の声を無視するわけにはいかないと思います。私は正常化が行われたら、私の家族は殺されてしまうと思っていますし、まず間違いなく消されてしまいます。そういうことを許すような国であってはならないし、そういうことを許すような国民であってはならないという風に皆さんにも考えていただき、ぜひご協力いただきたいと思います。今後とも拉致問題全面解決、そして100人以上の拉致被害者救出、まずこれを最初にすることで、あとで国交正常化を考えればいいという皆さんの意見、国民の皆さんにその意見を挙げていただきたい。日朝国交正常化はまだ早い、100人以上の拉致被害者、そして拉致問題の全面解決がないのになんで日朝国交正常化をするんだ、何の日本の国益があるんだ、その言葉を皆さん、常にあげていただきたい。そうしないとこの国は日朝国交正常化をして、テロ国家北朝鮮を支援する、テロ支援国家になってしまいます。そういうことにならないように皆さんとともに闘っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。(ページトップへ

 

高野美幸氏

(司会者から拉致濃厚と紹介されて)え〜、濃厚というか、特定失踪者問題調査会の方で濃厚と呼ばれている方にはまだ入っていないんですけども、可能性があるということで。前回も少しお話をさせていただきましたが、私が横浜に住んでおりますので、救う会神奈川さんの方に協力をさせていただいて、こういった席を設けていただいたことに感謝申し上げます。

まず拉致被害者は10件15人ではない。ここにいらっしゃる方は皆さん認識を持っていらっしゃると思うんですけども、なかなか全国民に認識を持っていただけてないということで、一番あげていかなくてはならない話かと思っております。私の兄、高野清文は1976年、大学2年生の夏休みに伊豆七島の神津島にいっている時に突然行方をくらましてしまいました。父は、先ほど地村さんのお話を聞いていて本当に心が痛かったんですが、まったく同じように、兄が優秀でなおかつ体力もある男性に育っていましたので必ず生きていると信じて探し続けて、挙げ句の果ては島に住んで見つかるまで探そう、というところまでいったと、後から母から聞きました。その後、うちの家族もずっと28年間、7月30日にいなくなっていますので、まもなく満28年をすぎて29年目に入る所になるんですけども、その間ずっと、どこにいったのだろう、という思いを持ちながら探していたんです。一昨年に小泉首相の訪朝の時に5名の方が生きていらっしゃる、ということで、地村さんご夫妻、蓮池さんご夫妻。で、あともう一人の方が政府未認定の方だという話がありました。その時、私は家でテレビを見ながら、テレビの画面に「高野清文という名前を言ってくれ。兄の名前を言ってくれ」ということを心の中で唱えながら、テレビの報道を見ておりました。実際ふたをあけてみますと曽我ひとみさんという女性の方が出ていらっしゃったんですけども、政府の拉致認定のない方でも拉致の被害にあっている方がいらっしゃるんだということを深く認識しまして、家族の方とも相談して政府とか、地元の警察であるとか、神津島ですが新島が本署ですので、新島署の方に連絡をしたりして再捜索というような状況になってきました。

同じように調査会の方にやはり拉致の可能性があっていなくなってる、という方が現在400人近く申し出をされている状況に今、なってまいりました。「拉致と強制収容所」を買っていただいた方は私の兄、120ページに顔写真が載っております。あとこの会場に今日もう一人特定失踪者で公開されているご家族の方がいらっしゃるんですけども、117ページの一番左上に生島孝子さんという方で東京の都心の渋谷区から行方不明になられた方のご家族がいらっしゃってます。

400人の家族、集まってみますと、私の方が大町ルートという形の資料を最近作らせていただいたんですけども、こちらの方で、東京都心はあまりにも多いため割愛しましたと書くしか書きようがない位、都会でいなくなってるという状況がありまして、私の兄もいなくなった場所は神津島なんですけども、当時住んでいた場所が調布の電気通信大学だったということで、その近辺、後の10年間、1970年代後半から80年代前半にかけて10名の同じくらいの年頃の若者がいなくなっているということが判明していて、ここにも何かしらの意図が見えてきているのではないかと、現在調べている最中です。

法律家の会の本「拉致と強制収容所」を読んでいますと、特定失踪者の問題もかなり深く書いていただいているんですが、これ読むと本当に強制収容所の話の方が私は恐ろしくて、先日も荒木先生が、読んでる内容と現実がどっちが本当なんだろうと思って焦燥に駆られるというようなことをお話されて、私も同じような思いを、電車の中で読んでいて思ったことがあります。私の母方の祖父が北朝鮮に埋まっています。母方の祖父母が開拓で北朝鮮に行っていたということで、ソウルと平壌の間の、ちょうど国境の少し北側のケソン、開く城と書いてケソンという町があって、そこの小学校にうちの母は電車に乗って通っていたということです。母が小学校の入学式の日に私の祖父が亡くなっていますので、あちらの土になっていると思います。当時、母親に聞きますと、向こうの作業を手伝ってくださっていた方々というのは、非常に心優しい方々で、別に強制的に使っているというわけではなく、本当に一緒に仕事をさせていただいたような形で、引き揚げて来る時も、ここに匿ってやるから残らないか、と言われたそうです。でも残るわけにもいかないので、帰りますと話をしたところ、焼き米だと思うんですけども、子供たち5人兄弟にそれぞれ一握りずつ持たせて、このままでも食べられるし、水に戻せばご飯のように食べられるから、持っていきなさいと渡されたそうです。非常に土地の方への思いも強かったということが、最近母と話しをしていてわかってきました。私は兄の問題というだけではなくて、兄の問題を通して金政権への闘いを挑んでいこうと、こちらにいらっしゃる韓国の拉致被害者や北朝鮮の食料も得られないで生きていらっしゃる方、その方たちはもしかしたら、母を助けようとした方の子孫かもしれません。そういった方たちのことも助ける仕事になっていく、仕事というか働きになっていくと思って、今、活動の方を志をそういう風に持って動いております。

私の母にも地村さんと同じような笑顔を取り戻させていただくように、どうかこれからも拉致問題、特定失踪者問題に気持ちを寄せていただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。(ページトップへ

 


地村保さん、増元照明さん、高野清文さんの講演要旨は「電脳補完録」作成
その他の参加者の講演要旨は「ヘソ伝ファンさん」作成

電脳補完録