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電話:090-9816-2187
   

第8回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」

日時:平成16年10月24日 
場所:神奈川県藤沢産業センター
主催:拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会
共催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会

講 師: 寺越昭男さん (寺越昭二さんの長男)
     内田美津夫さん(寺越昭二さんの三男)
     野口孝行さん (北朝鮮難民救援基金)
     杉野正治さん (特定失踪者問題調査会・常務理事)
     高野美幸さん (高野清文さんの妹)
     藤田隆司さん (特定失踪者・藤田進さんの弟)
     松木信宏さん (松木薫さんの弟)
     加藤博さん  (北朝鮮難民救援基金事務局長)
     質疑応答



寺越昭男氏

今日朝早く石川県の方から、招かれましてここでお話をする事になったんですけれども、今ご紹介があった様に、私の父、それと叔父の外雄、従兄弟の武志、この3人が昭和38年5月の11日に突然行方不明になり、そして24年後の1987年ですね、叔父の外雄さんから「北朝鮮で生きている。結婚して子供も出来た」という、そういう様な便りが、手紙が来た訳です。それで、その手紙から17年経った訳なんですけれども、一昨年の9月に小泉首相が、9月17日に訪朝し、キムジョンイルが拉致を認めたという事で、私らも事件の真相と親父の遺骨の返還、そして拉致の認定を求めて政府に声を挙げた訳です。

で、たまさか、その年の2月に苦労した母親が亡くなりまして、本当に1日も早く母親と父親と一緒に墓に入れてやりたいなという気持ちから声を挙げたんですけども、寺越事件は拉致を「救助」として、そして真実を捻じ曲げたというか、政治に利用され、このまんまでは本当に闇の中に葬られてしまうんではないかという心配をしています。私達は事件の真相を知る権利があると思ってますし、本当に事件の解決をするには、矢張り政府が拉致の認定をしなければならないんではないかなと思っております。

41年経った今、最後の証人である武志が日本に帰りたくても帰れない、そして本当の事を言いたくても言えない、そんな環境になっています。これは先月、フジテレビさんの方でも放送がありましたけれども、矢張り、本当に武志が自由に日本に行き来できて、監視も付かない状態で自由に行き来できる事になる日がやっぱり武志、友枝さん親子にとっては一番良い事なんだと。

しかし私達は違います。私達は親父の遺骨の返還、ひょっとしたらアンミョンジンさんの証言通り、船の上で射殺されて遺体を海に棄てられている可能性が有る訳です。事の真実をやっぱり追究したいと思ってますし、その為には、現在北朝鮮に墓が有ると言われている、その墓の遺骨を求めて政府にお願いしている訳なんですけれども、もし北朝鮮がアンミョンジンさんの言う事は間違いで、そして遺骨が無かった場合、どういう事かというと、今度は父親がまだ北朝鮮に生きとるという事になるんですね。その時また私達は、父親を迎えるという事を言って行かなければならない。 寺越事件というのは、どこまでが本当でどこまでが嘘かというのは丸っきり解らないんです。だから本当に事件の真相を解明する時には、北のキムジョンイル政権が崩壊しない限りは、事件の真相は解らないんじゃないかと思っています。

で、この度、アメリカの方で北朝鮮の人権法案が出来まして、私はこれに期待をしてるんですけれども、日本としてもやっぱり経済制裁という事を本当に念頭に置いて、拉致の被害者を取り返す、奪還すべく、やっぱり政策を仕掛けて行って欲しいなと思ってます。小泉総理、政府は、経済制裁はあんまり効き目が無いんじゃないかという風に言ってますけども、やっぱり経済制裁が効き目が無いと言うんなら、効き目が有る様に、周辺各国、中国・韓国・ロシアに対して協力要請をして行くのがやっぱり政治の仕事じゃないかと思ってます。で、経済制裁を兎に角して、1日も早く被害者・家族を取り返し、寺越事件の真相が解る様に、又、これは国民の皆さんの、やっぱり世論の盛り上がりが一番有効ではないかと思ってますんで、今後とも宜しく御協力を御願いしたいと思います。どうも有り難うございました。(ページトップへ

 

内田美津夫氏

こんにちは。今日は忙しい中を御集まり頂きまして、本当に有り難うございます。先程話したのが私の兄貴で、私が養子に行きましたんで、内田となっております。今日は石川県の能登半島から、朝起きて元気でやって来ました。少しの時間ではありますけれども、聞いて頂きたいと思います。

私の父親は、今(兄が)言った様に41年前に石川県の能登半島の福浦漁港という所から漁に出まして、船の上で行方が分からなくなったんですね。船の上という事で、いなくなったら海の下という事で、そういう事で遭難という形で遺体が無いままに葬儀を出しました。そのとき私はまだ10歳で、その時の記憶はもう無いんですけども、そういう41年前でした。

その後24年経ってから、北朝鮮で生きている、暮らしているという手紙が参りまして、その時には旧社会党の島崎という代議士が北朝鮮へ寺越武志の両親を連れて行く為、「救助」という形で、この寺越事件は「救助」という形で、それで武志の御両親は初めて北朝鮮へ行く事が出来ました。その当時私達は、北朝鮮という所は大変、国交も無くて大変恐い所であると。で、日本人と聞いたら、また日本人と分かったらまず殺されるんでないかとか、命の保障が出来ないんじゃないかという事で、本当にこの、北朝鮮に生きているという事を世間にはひた隠しにしておりました。

そこで私達が、拉致ではないかという事で声を挙げたのは、母親が本当に、私達(兄弟)は男3人いるんですけども、当時兄貴が中学1年生で私が小学校4年生かな、間にもう1人いるんですけども(次男の北野政男氏)、本当にこの3人の子供を育てるのに大変苦労しまして、その母親が一昨年の2月にパーキンソン病という、筋肉が固くなって歩けなくなったり食べ物が喉を通らなくなる、そういう病気で最期を遂げたのです。

そこで小泉さんの訪朝がありましたんですけれども、子供ら、私達子供らに出来る最後の親孝行としては、父親の骨を取り返して母親と一緒の墓に入れてやりたいと、そういう事で声を挙げましたね。それと同時に、私の父親は、「死の真相」というものは3つありまして、島崎代議士が行った時には「『救助』されて北朝鮮へ渡ってから5年後に心臓病で亡くなった」という話が1つと、それから、何度か武志の母親、友枝さんが訪朝して武志に「本当はどうなんや。『救助』なんかどうなんや」と問い詰めた時に、武志が「実は、ある寮の一部屋で叔父さんは死んだんや」と。男子寮とか女子寮とかっていう、その寮ですね。ある寮で死んだんや、と。これが2つですね。そしてもう1つは、今の(兄の話の)、アンミョンジンさんが(実行犯の工作員から直接聞いたという)「実は、船の上で子供を庇って抵抗した為にその場で射殺した」と。この3つが有ったんで、こんな馬鹿な、うちの父は1人しかおらんのに3つもどうして死ぬんやという、そういう真相も知りたかったと、そういう事で声を挙げました。それでその後いろいろ、外務省や政府の方に遺骨の返還等を求めて来たんですけども、丸2年以上経っても北朝鮮からは何の応答も有りませんでした。

その間に、私ら声を挙げてから、(墓地の写真を示しながら)北朝鮮の、これはクソン市という所です。チョンジン、じゃなくてピョンヤンから車で1時間ちょっと走った所で、ピョンヤンを出てから本当に砂利道ばっかりの所だそうですけども、ここで父親の、これが墓だと、この山に有りますよという事で、これが墓でね。それで、叔父さん(寺越外雄氏)がいたんですけども、叔父さんはちょっと下の所に、もう少し下の所に墓が有るそうです。北朝鮮では何かあの、目上の人ほど高い方に掘ってある、そういう順番に場所を決めていくそうなんですね。そこで出て来たのが、(墓の写真を示しながら)父親は生年月日がですね、1927年の3月30日に生まれて1968年の3月30日に死んだと、自分の誕生日の日に死んだという事が墓に記されているんですね。

私はあの、その当時、父親は3月30日が誕生日やと言われたら、ああそうかふーん、と。死んだ日は憶えとるんですけども、死んだ父親の誕生日がいつやったと言ったら分からないんですね。3月30日やと言ったら、ああそうか、と思っとったんですけども、何百万人に1人のこういう奇跡に近い事件に巻き込まれて北朝鮮へ行った人が、何百万人に1人かぐらいしかおらん、自分の誕生日と一緒の日に死んだという、そういう話にすれば、宝くじに2回当たったみたいのと一緒じゃないか、こんな馬鹿な事は無いなと、それで、戸籍を取り寄せたんですね。で、戸籍を取り寄せたら3月31日、私の父親の誕生日は3月31日だそうです。ええ。という事は、北朝鮮は1日間違った事を私達に平気な顔して、ここに父親は眠っとるんやぞ、死んだ日・誕生日はこうなんや、と平気な顔して嘘を言って来とるね。本人は北朝鮮へ行って5年間居ったんなら、絶対に誕生日は、自分の誕生日は間違える筈が無いんで、それと、41年前に最初に渡ったのはチョンジンという所で、そこで父親が死んでから、クソンという所へ叔父と武志が渡ったそうなんです。そこで何年かした後に、チョンジンから私の父親の骨を皆の住むクソンへ移して貰ったらしいんです。それも違う話なんです。憎い日本人を、そういう北朝鮮が手厚く、チョンジンに埋められた遺体をわざわざ掘り起こして寝台車みたいのに乗せてが、こう、何でクソンまで運んでくれる。そういう事は絶対に北朝鮮では有り得んと思いますし、これ見よがしにこういう大きな、約2メートル近くの墓ね、日本で皆さん聞かれたら、寝台車でも運んで持ってったんやろと言うけど、北朝鮮は今でもあの、手で田植えしとる様なとこでそんな事はまず無いと思うね。それと墓が、墓石なんかが新しい事。ね、これ1つとっても、北朝鮮は本当に見え透いた嘘を。だけどこれがね、私考えるには、何でそんな見え透いた嘘を吐くのかなあと思うんやけども、北朝鮮の人達は小さい時からこう抑え抑えられて、自分の意思が持てん様になっとるんやから、嘘1つ吐くがにしてでも、嘘吐け、誤魔化せと言われたら「はい」と、こうするまで。知恵を絞っていろいろと、というそういう考えはやっぱり無いんじゃないかなと思いますけどね。

何はともあれ、そういう事でこの2年間、北朝鮮は、ちゃんと北朝鮮のクソンのこの山に有りますというものも出して来ておりません。それは何でか言うたら、有るのか無いのか、まあここはまだはっきり判らないんですけども、やっぱりアンミョンジンさんの証言を本当だという事を裏づける様な事になれば、他にアンミョンジンさんが証言した事もやっぱり本当や、事実やという、それもやっぱり認めて行かねばならんと思うもんで、北朝鮮はまず、アンミョンジン自体を認めていないので、なかなか認めておらんのかなあと思いますけどね。

私の兄が今言うた様に、政府にはまだ認定はされておりません。拉致被害の認定はされておりません。今後は、やっぱりあの、皆さん御承知の通り、沢山の、何百人と言われる特定失踪者の方々、その中にもやっぱり可能性が高い人達も何人かおりますね。その人達も、政府は早く認定して早く本腰を入れて調査するべきなんですね。だけど、なかなか政府は追加で認定をしようとしていません。今、国交正常化を早くしようと思ってるんでしょうね。だけども、私はこういうものは一番早く、拉致か拉致でないかというのを、結果を出せる事件なんです。そして早く認定をされて、他の人達にもやっぱり1つでも何か確証が有れば、すぐ政府は認定して、すぐ本腰を入れて調査するという、そういう道筋を付ける為にも、私らは今後も政府には拉致認定を求めて行く積もりでおります。はい。どうも有り難うございました。(ページトップへ

 

野口孝行氏

こんにちは。北朝鮮難民救援基金の野口と申します。先程ご紹介頂いた通りですね、私が去年12月10日ですね、中国の江西チワン族自治区の省都、区都ですね、南寧という所で中国の公安に拘束されまして、そのまま逮捕・起訴・判決、裁判を経て8箇月の懲役という手順を通りまして今年の8月の9日まで、中国の江西チワン族自治区にある監守所に拘留されていました。

私が何故中国に向かったかという事なんですが、昨年12月にですね、北を脱北して来た元在日朝鮮人、帰国者ですね、帰国者の2人がですね、中国の大連という所から日本にいる親族に「助けて欲しい」と。「北朝鮮から脱北して来て今中国にいるので、どうにか日本に帰りたい。助けて欲しい」という電話が親族の方に入りまして、そちらの親族の方からですね、我々の団体にどうにかして欲しいという依頼がありまして、私が(2人が)中国から脱出する為に駆け付けた訳です。

2人はですね、1960年代に日本から北朝鮮、「地上の楽園」と宣伝されてそれを信じてですね、帰って行った人達です。男性の方はですね、17歳まで日本で生活していました。広島県で生まれました。女性の方はですね、8歳までこの日本に住んでいまして、北の方にですね、帰って行きました。ですから、2人ともですね、日本語が勿論良く出来ました。そして、私が実際彼らに会って凄く不思議だなと思ったのはですね、もう私が生まれるまでの日本を彼等は知っている訳ですね。そして、私は彼らが知らない日本を知っているんですね。ですけど、矢張りその、日本を想う気持ちというのは、私も有りますし彼らも有るんですね。そして、彼らは北朝鮮籍ではあるけれども、「私の生まれ故郷は日本だ」と。であるから、「生まれ故郷である日本にどうしても帰りたい」と、日本人である私に必死に訴える訳ですね。

私は、そういう人達が仮に日本人ではないとしても、日本に所縁が有り日本に帰りたいと思っている人であれば、助けたいと思って活動に、実際に行動に移った訳ですが、その望郷の想いというのはですね、拉致、北朝鮮に渡った経緯は違いますが、拉致の被害者や特定失踪者と言われている人達ですね、が恐らく今想っているであろう日本に対する想い、これはですね、全く一緒だと思います。ですから、我々は北朝鮮難民救援基金という、主に北朝鮮の難民を救援するという会ですが、その根底の部分ではですね、全く「救う会」「家族会」、様々、特定失踪者とありますが、全くその根底では同じ様なものがあるのではないかと思っています。

私はですね、裁判が6月ですね、6月に裁判がありまして、いや、5月に裁判がありまして、6月に判決が出て8箇月という判決が下った訳ですが、それがですね、罪状が中国刑法321条「密出入国幇助罪」という罪に問われまして、8箇月という事になりました。そもそもですね、我々が活動している、中国で活動している根拠というのは、国連の難民条約というのがありまして、そこを拠り所にして活動をしています。これはどういうものかと言いますと、中国も勿論批准をしているんですが、その中の条文でですね、「ある特定の国籍もしくは宗教・集団に属しているという事から迫害を受け、受ける可能性があり、国を離れた場合、その人達は難民である」という事が書かれてあります。そして更にですね、その自分の国を離れた人間が仮に本国に送還された場合に、迫害を受ける恐れがある場合、これはしてはいけない、難民として保護を与えなければいけないという条項が有ります。これを見るとですね、北朝鮮の脱北者達はですね、明らかに難民に当たるという事だと思います。そしてその難民をですね、助ける人達、今回で言うと私みたいな人ですが、そういう人達も罰してはいけないという事が有ります。にも拘らずですね、中国の政府当局は、日々中国に潜んで暮らしている北朝鮮の難民を拘束し、そして迫害が待っている北朝鮮に強制送還しているという、まさに人権を無視した、国際法を無視した事が日々行われております。

12月からですね、私の拘束が始まった訳ですが、最初は冬でしたからとても寒くてですね、なかなか辛かったです。監獄と言ってもですね、完全に密閉されるドアという様なものが無くて、畳1畳ほどの大きさの鉄格子が有りましてそこが入り口なんですが、その先はですね、すぐ外気、外なんですね。そして天井が有るんですが、天井もですね、上から監守が監視出来る様に天井の3分の1が鉄格子になっていまして上から覗かれるという感じで、そこの向こうももう外気に接しているという様な状況で、とにかく風が循環するんですね。ですから昼の間でも、全て私が持っていた衣服を着て、更に綿布団ですね、綿布団を2枚重ねてくるまっていても口からは白い息が出る、そして何もする事が、苦役は無かったので本を読んでいたんですが、本を読む手も30分もすると冷たくなってしまって、手を擦りながらですね、温めなきゃいけないという様な状況でした。

そして勿論あの、温水のシャワーなんていうのは有りませんから毎日水で、水浴びですね、自分がいた部屋の一角に水場があるんですが、そこでホースを上に当ててですね、水を浴びるという様な生活をずっと続けて来ました。その中でですね、私が思ったのはですね、新しい石鹸を1つ買うと、「この石鹸が無くなるまでに強制送還という形で帰れるかなあ」と思い、その石鹸が今度無くなると、「このシャンプーが無くなる前に帰れるかなあ」と、矢張り日々、この日本に帰りたいというその辺の想いがずーっと強かったですね。まあそして、冬でしたから、中庭に植わっている草木ですね、「この草木に花が付く前に絶対に帰ろう」という様な想いで日々過ごしていましたが、その草木には花が付き、春になって花が付き、またそれも散って行くという状況を体験しながら8月まで来てしまったという、そういう状況でした。

矢張りそこででのすね、私自身も、拉致の被害者・特定失踪者と言われている人達の苦痛に比べればそれは微々たるものですが、矢張り生まれ故郷日本に帰りたいという想いは一緒だったと思いますね。ですから私はここで、まあ微々たるものではありますが、いま北朝鮮で恐らく生きて過ごしているだろう方達と少し気持ちが通じ合えたかなあという事も、牢屋の中にいて感じました。

今ですね、北朝鮮を取り巻く状況というものなんですが、皆さん御存知だと思いますが、まず9月に日本人学校に29人の脱北者が駆け込むと、その後カナダの大使館、上海のアメリカンスクール、そして2日前には北京の韓国人学校に駆け込むという様な動きが有りまして、また脱北者の中で韓国に無事渡った人の中から、最近で言いますと加瀬(テル子)さんという方の写真をですね、持って来る脱北者がいると。そういう状況も有りまして、私達みたいに脱北者を支援している団体が、もしかしたらその(支援する)脱北者の中から我々日本人の情報を持っている人が現れるのかも知れないという事で、またここでも私は非常な接点を見付けています。

それからですね、EUなんですが、またイギリスですね、これらの国はですね、北朝鮮に特使を送り、北朝鮮の人権問題について北朝鮮の政府と議論を交わして迫って行くという様な状況が続いていますし、今(寺越昭男氏の)お話にちょっと出ましたが、アメリカの人権法案というものが今月発効しまして、その中ではですね、はっきりと拉致問題に触れています。 もう1つは、その他にはですね、今現在中国にいる北朝鮮の脱北者と言われる人達ですね、これをはっきりと難民と規定してアメリカ政府は彼らに保護を与えるという風に、もうこれは法律で明記されています。

そういう流れの中でですね、日本の動きを見てみますと、これはなんか凄く寂しい様な状況で、日本人拉致問題もそうですし難民の問題にしてもですね、とても日本から近い所で起こっている事ですし、日本人の問題でもあるし、とても係わり合いが強い問題であるにも拘らず何もしていないと。それでちょっと私達の団体の事を考えてみたんですが、常にですね、中国の政府に対して脱北者の中に難民と思われる人達が多数いると、であるから彼らを難民と認めて保護を与えなさいという事を再三非難しています。要求しています。そういう風にしながらですね、いざその自分の日本の国というものを見てみますと、先日ですね、私はちょっと日本の状況を調べていたんですが、2001年の1年間で日本が難民認定を与えたケースというのはですね、たったの26ケースなんです。そして更に2002年、これは14人なんです。そして去年はですね、336人申請したうちのたったの10人しか難民の認定を与えていないんですね。これは毎年減って来ている訳です。そして先進国と言われる国を見ると、毎年数万人単位で難民認定を与えています。一番少ないイタリアでも2002年、2100人という人達に認定を与えてますね。そうするとですね、日本の団体である私達、私が中国に対して「あなた達、北朝鮮の難民を難民認定して保護しなさい」と言っているのはですね、とても空しい風に感じる訳ですね。で、よくよく突き詰めると、これは矢張り日本人のですね、我々一人一人の人権意識というものが非常に低いと言わざるを得ないと思うんですね。その辺の人権意識の低さが、矢張り拉致問題、間接的にですね、最大の人権侵害であると言われる様な拉致問題の解決も遅らせているのだろうし、北朝鮮での難民問題という事もですね、ただ傍観しているという様な状態、状況を作り出しているんじゃないかなあと、私は最近はつくづく思っています。

これからですが、拉致問題はですね、20年くらい放置されていました。報道とかですね、そういったニュースに私達は触れる機会が無かったという事情も有るかも知れません。しかし今ですね、私達はそれを知ってしまいました。そして脱北者の問題についてもですね、連日報道されています。脱北者の問題も、私達は今もう知ってしまいました。これからはですね、私たち日本人一人一人がですね、そういう様な意識を高めてこの問題の解決に向かって闘って行かなければいけないんじゃないかと思っています。政府を、勿論批判するのは容易いです。政治家を批判するのは容易いです。ですが私達は、北朝鮮の国民でもないし中国の国民でも有りません。被選挙権もあれば選挙権もあります。ですから、解決に向けてそういった政府を作るべく、もしくは政治家を当選させるべく、共に手を携えて闘って行く必要が有るのではないかと私は今感じております。これで終わりにします。どうも有り難うございました。

(ここで最前列の参加者から「脱北した2人はどうなりましたか」との質問が入る)
あ、えーとですね、1人はですね、女性の方は、ちょっと詳しく話しますと、私が拘束されている間に、その女性の娘さんから日本にいる親族にですね、電話が有りました。それはこういう電話でした。「今、私のお母さんが病院に入っています。助けが必要です」という様な電話が有りました。これは北朝鮮から有りました。で、その電話の隣でですね、男の声がして、日本にいるその女性の叔父さんだったんですが、叔父さんに向かってですね、「姪御さんが可愛くありませんか」と。「助けたくありませんか」と。「一度ピョンヤンにいらっしゃってはどうですか」という様な電話が有ったそうです。そしてこの病院というのがですね、病院じゃないんですね。要するに刑務所な訳です。そして、助けたくないんですか、ピョンヤンに来たらどうですか、というのは、お金を下さいと身代金を要求している訳ですね。恐らくその親族は勿論、自分の姪っ子を助ける為に必死になってどうやらお金を払った様ですね。8月の14日、そのご本人からですね、また親族に電話が有りまして、「今日退院しました」と。「無事に今生きています」という報告が有ったそうです。そして男性の方はですね、安否が今の段階でも判っていません。彼はですね、今回捕まって帰って行ったのは3回目なんですね、実は。そうするとまあ、普通の考え方でいくともう、ちょっと生きている可能性は低いんじゃないかと。

私はあそこでですね、会った時にですね、彼についてよく思い出すのは、もう私と会った瞬間に、私から今の日本の匂いを嗅ぎ取っていたと思うんですね。僕はもう、日本から日本の匂いをそのまま持ってって、その当日に彼らと会ったんですね。恐らく三十何年ぶりに感じる日本の香りだったと思います。その当日に彼らと会ったんですね。恐らく三十何年ぶりに感じる日本の香りだったと思います。それでですね、もう私と会った瞬間に助かった気持ちになった様ですね。私は日本に帰ったらこういう事をしたいんです、ああいう事をしたいんです、と私にですね、懇々と語っていました。ですが結果的にですね、作戦が失敗してしまって、今、彼は生きているかどうか判らない。ふと考えるとですね、1日の間には彼の声が耳に響いて来てですね、非常に申し訳ないなという気持ちになる時が1日のうちに何回かある様な状況ですが、私が出来る事はこういう所に来てですね、いろんなこういう話をして北朝鮮のその酷さですね、残酷さを訴える事かなと今思っています。どうも有り難うございました。れでですね、もう私と会った瞬間に助かった気持ちになった様ですね。私は日本に帰ったらこういう事をしたいんです、ああいう事をしたいんです、と私にですね、懇々と語っていました。ですが結果的にですね、作戦が失敗してしまって、今、彼は生きているかどうか判らない。ふと考えるとですね、1日の間には彼の声が耳に響いて来てですね、非常に申し訳ないなという気持ちになる時が1日のうちに何回かある様な状況ですが、私が出来る事はこういう所に来てですね、いろんなこういう話をして北朝鮮のその酷さですね、残酷さを訴える事かなと今思っています。どうも有り難うございました。(ページトップへ

 

杉野正治氏

皆さん、こんにちは。只今ご紹介を頂戴しました、特定失踪者問題調査会の杉野でございます。今日はこの日曜日であるにも拘らず皆さん、この様に沢山お集まり頂いた事に非常に心強く感じますし、1日も早いこの拉致問題の解決という事を実現したいという風に改めて思った次第でございます。

私ども特定失踪者問題調査会、この団体は、ご存知の方も多いと思いますが、2年前の小泉総理の訪朝、この時に北朝鮮が拉致を認めました。この結果を受けて、我々にもかなり衝撃的な内容であった訳ですけれども、一般の方々、特にご家族に失踪された方がいらっしゃる方々、この方の中に自分の家族も拉致をされたんではないだろうかと。当時「救う会」の事務局には沢山の電話が掛かりまして、電話が殺到した訳ですけれども、これは我々、大変な事だと。ひょっとすると拉致というのは、その時に判っていた人以外にも沢山いたんじゃないだろうかと。そういう事で、これは昨年の1月になりますが、私ども特定失踪者問題調査会というものを結成致しまして、この失踪された方々、この人達の事を調査しようという事でやって来た団体でございます。

それからもうすぐ2年になる訳ですけれども、我々その時かなり深刻に思ってこの団体を作った訳ですけれども、それからこれまで、現在私どもの所には420名の方々、約420件の失踪についてご相談が来ております。これについては我々1つ1つですね、ご家族にお会いして聴き取りをやって、といった事を基本にして調査をして来た訳でございますけれども、とにかくそれぞれを調査してみますと、非常に不思議な事が判って参りました。例えば失踪された方のご職業、例えば看護婦さんの方が多い。例えば印刷関係の方が多い。これは何らかの意思を以ってこの人達は、あるいは拉致だという観点から見ると何らかの意思を以って連れ去られた可能性が有るのではないだろうかと、そういう事を感じた訳でございます。それから失踪した年代、これを調べてみますと、古くは1950年代から新しいものでは2000年前後まで、失踪された方がいる。あるいは失踪した場所、これは全国津々浦々、北海道から沖縄までほぼ満遍無くいます。これら総合しますと、これがもし拉致に関係すると考えた場合、我々従来は日本海側の海岸沿いの、例えば砂浜の所で歩いていた所を、上陸した工作員が捕らえてそして船に乗せて持って行くんだろうと。年代は横田めぐみさんや、あるいは地村さんや蓮池さん、あの人達と同じ様に1977年・78年、そういった年代だろうと、いう風に従来は考えていた訳ですけれども、この特定失踪者の方々それぞれを調査してみますと、どうもそうではない。古くはもっともっと前から、あるいはひょっとすると最近まで、場所は日本海の海岸べりとは限らない、太平洋側にもいるかも知れない。あるいは海岸だとか内陸だとか、そういうのは関係無い。一番多いのは大都市、隣の人が何しているか分からない、そういう人達がいっぱいいる所に、ある時いなくなってもあんまり誰も騒がない。そういう拉致のイメージというのを段々強めて来た訳であります。そういった事を総合しましても、私どもはこの420名の中から、調査の結果拉致の可能性が高いであろうという方々を、これまで33名の方について拉致の可能性が高いという判断をさせて頂きまして、この10月の始めまでに31名の方について、刑事告発という形で法的に、これを正式に、改めて警察の方に、調べてそして何らかの結果を出して欲しいという事を要望しておりまして、これに加えて、この人達を政府で拉致認定をして欲しいという風な活動をして来ております。

そういった中で、今年になりまして、ここにもおられますけれども今年の7月でしたか、藤田進さん、これは1976年、昭和51年の2月に埼玉県の川口市で自宅からアルバイトに出て行ってそのまま帰って来られなかった。当時大学生でございました。この方の写真というのが出て来ました。この写真というのは、北朝鮮からの脱北者が持ち出したものであると。その持ち出した脱北者というのは、北朝鮮の中ではかなり位の高い偉い人物であったという風に言われています。その人物は、他の脱北者から写真を受け取り、そして日本のマスコミにそれを渡したという事でございます。まあこの写真、初めて持ち込まれた時、私ども全然、この方とあの藤田進さんの(調査会のポスターに載っている)顔写真はなかなか一致しませんでした。いろんな特徴を見てみますと、やっと、これは進さんであるという事が判った。まあそれだけ、ここにいらっしゃる藤田さんの弟さんの隆司さんも最初見た時、「これは兄ではありませんね」と仰っていたんですけれども、それだけ年月というものが経っていたという事でございます。これは正式に、東京歯科大の橋本助教授に鑑定を依頼しましたところ、矢張りこれは間違い無く藤田進さんの写真であるという結果を得まして、藤田さんとともに政府の方に、これを認定して欲しいという風に言っておるところでございますが、残念な事に政府の方は、これだけ出ているにも拘らずまだ認定をしていないという状況でございます。

それから、この1、2週間の間にテレビ等で皆さんご覧になったかと思いますが、加瀬テル子さんという、これは昭和37年、千葉県の海上町という所から、これは銚子の近くなんですけれども、そこから失踪された女性、この人によく似た写真というのが出て来ました。ただいま鑑定を進めておりまして、恐らく明日、正式な鑑定結果が出ますけれども(http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news041026.TXT)、これも先程出ました橋本助教授の見解によりますとほぼ間違い無い。藤田さん以上にこれは可能性が高い。明日鑑定結果が出ますけれども、この加瀬さんの写真が出て来た。北朝鮮から出て来た、同じルートでございます。この藤田さん・加瀬さん、特にこの加瀬さんの写真が北朝鮮から出て来たという事は非常に重要でございまして、昭和37年という、これはもう42年前でございます。この頃から北朝鮮というのは拉致をしていた。まああの、状況から考えると自ら北朝鮮に渡ったという事とは非常に考えにくいから、42年前、パーマ屋さんに行ってそのままいなくなっていると。前日には大の仲良しだった叔母様と、次の日に新宿コマ劇場に一緒に行こうという約束をして非常に楽しみにしていたと。ところがその日になって忽然と姿を消してしまった。この加瀬さんの写真が出て来た。42年前なら、しかも場所は太平洋側、藤田さんもそうですけれども、この太平洋側でも拉致をされている。しかもそう考えると、たまたま上陸した人間がわざわざ埼玉県や千葉まで来て、そして船に乗ってわざわざ行くという事は考えられない。という事は、矢張り日本の中にそういう事を手引きした、あるいは人選をした、「この人を拉致したらどうだ」とか。これは犯罪者の側に立ってみると、そうした方が恐らくやり易いだろうと。そのままずかずかと人の所に入り込んで拉致をしていくという事は、とてもリスクが伴います。非常に危ないですから、そういう事はやらないだろうと。こう考えますと、この拉致というのは非常に計画された、そしていろんな、しかも1人や2人じゃ出来ない、何人かの人が1人の人を拉致するのに関わっている可能性が有る。非常に計画的な、非常に緻密な計算をした上で日本人を拉致していると。それから、さきほど言いました職業ですとか、あるいは年格好、そういう事を考えますと、その人がどういう人物であるかという事を予め調べて、そして拉致をしていったんであろうと、そういう風に私どもは考えております。

そしたまたその、日本海側だけではない、最近この加瀬さんの件で出て来ましたけれども、大町ルートという言葉が出て来ました(http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html)。これは特段、そういうものを誰かが正式に付けたという事ではないんですけれども、この千葉県の銚子の近辺から都心部を通ってそして、まあ言わば国道20号線をずっと、山梨を通りそして長野県に入る、そして日本海側に抜けて行く、こういうルートが、実は昔から物流ルートとして存在しておりました。これは物資を運んで、北朝鮮に運んでいたんですけれども、千葉県銚子の近辺では水飴ですとか、あるいはこのルート沿いは砂鉄がよく採れたと、そういう物を定期的に運んでいたという事だそうでございます。この近辺というのは割りと在日朝鮮人がかなり沢山住んでおって、朝鮮総連もかなり強い所でございます。こういった所を定期的に、物流が通り、そして在日朝鮮人の人がその近辺に住んでいる、そういったものを利用してですね、工作員というものが暗躍したのではないだろうかという、まあこれは仮説に過ぎませんけれども。この加瀬さんの失踪、それから北朝鮮に現在いるという事が判明した事から、こういう事が想像出来る訳でございます。まあこれら、加瀬さんを始めとして、あるいは藤田さん、それから今日この後に(高野美幸さんの)お話が有りますけれども、この藤田さんと同じ年に失踪した、藤田さんと同じ大学生であった高野清文さん、この人は東京電機大学(電気通信大学の誤り)で、この大町ルート沿いにいた方でございました。失踪したのは何と神津島(伊豆七島)という島なんですけれども、先程言った、前々から計画をされていたという事から考えると十分に考えられる事でございます。

この様に、拉致をされた可能性が有る方、疑いが有る方というのは全国津々浦々、神奈川県内で起こった失踪も現在9名おられます。その家族が15名程度おられる訳ですけれども、こう考えますと拉致というのは、何と言いますかその、非常に日常的に行われていたという風に考えられます。アンミョンジンの言葉を借りますと、日本の上陸するのは、まあ朝飯前だと。飯を食ってトイレに行く様なものだという様な言い方をします。朝飯前だという風に言ったそうですけれども、まあ上陸するのは何でもないと。日本にいれば協力者も沢山いる。在日朝鮮人の中で善からぬ事を考える人はいる。そればかりか、日本人の中で恐らく協力をした人間がいる様だと。その人達は恐らく今はもう、この日本の中でのうのうと住んでいる、生活しているという訳ですが。まあ我々はこの人達に向かって、この拉致問題、こうやって皆さんがお集まりになっていろんな所で声を挙げていく事によって、その人達にいろんなプレッシャーを掛けられる、そういう事が出来る訳ですけれども。

さて、そういった、拉致というのは長く行われていたという事だと思われる訳ですけれども、一体その事について日本の政府は、日本政治は一体何をして来たか、という事でございます。思い起こして頂きたいんですけれども、今、政府が認定している拉致被害者、これは政府が探し出して来て、まあ探し出して来てと言うか、政府が自ら発表して「この人は拉致被害者です」と言った人は1人もいないんですね。日本のジャーナリストですとか、あるいは一番酷いのは、曽我さん親子を拉致認定していますけれども、あれは拉致をした方が白状したのを受けて拉致認定をしたと、そういう事でございます。いろんな過去の経緯を見てみますと、日本政府の、これは全部じゃないでしょうけれども、その事を知っている人は恐らくいません。これはもう政府・与党だけではなくて野党、特にまあ、さきほど寺越(内田)さんの話にも出て来ましたけれども日本社会党、これは朝鮮労働党と友党関係にありました。この人達も、その一部も恐らく知っていた筈です。にも拘らずそれを発表しないばかりか、隠蔽しようとして来たんではないだろうか。そうとしか思えない訳です。これは、過去の言わば日本の55年体制と言われる中で、自民党と社会党が反発しながらもどこかでで手を結んで来た、その中に恐らく、この拉致問題というのも含まれて来たんではなかろうかという風に思う訳でございます。

2年前に小泉総理は北朝鮮を訪問して、日朝ピョンヤン宣言をしました。キンショウニチは日本人の拉致を認めました。しかしながらそれから2年間、我々は、我々ばかりでなく皆さんもそうかも知れませんけども、拉致問題は進展したでしょうか。寧ろ何か後退しているんではないだろうか、そんな気すらする訳でございます。これは一体どういう、日本の政府は一体何を考えているのか。政府が認定している10件15人、これだけでもう終わらせたいと、そういう風に思っているとしか思えない。何度か北朝鮮とは交渉なり、協議なり、というのが行われました。全てゼロ回答。日本は経済制裁法案ですとか、特定船舶の入港禁止だとかそういう法案を作りましたけれども、小泉総理の2回目の訪朝で、全部そういうのを手放して来てる訳ですね。この長い間、日本人が拉致をされて来たんであろう、これを考えますと北朝鮮というのは、まあ我が国は北朝鮮に対しては対話と圧力と言いながら、いざとなると対話対話対話、対話しか言いませんけれども、北朝鮮は、言ってしまえば日本に対して、武器は使ってませんが戦争を仕掛けて来ている、そういう風に私には見えます。あの不審船が日本に来た時、物凄い装備を積んでいました。御覧になった方もいらっしゃると思いますけれども、展示された船、それから中に装備されていた、これは物凄い武器、彼らは戦争を仕掛けて来てるんだと私は思ってます。それはその通りです。まあ日本の方はそう思ってないかも知れませんけれども、いま北朝鮮、特にキンショウニチ政権というのは、自分達の政権を維持する為に、死ぬ思いでいろんな事、外交交渉をしている訳ですね。翻って日本の政府を考えて見ますと、相手が戦争を仕掛けて来ているという認識が本当に有るのかどうか。そういう考え方から小泉総理の、あるいは日本政府の態度、小泉総理の2度の訪朝を考えてみますと、小泉総理は2年前、北朝鮮に行ってドアを開けた。ドアを開けたところが、相手は戦争をしている事が分かった。これは大変だと。今年の5月22日になってドアを閉めに行った。そういう構図が浮かび上がる訳でございます。

しかしながらこの小泉総理のこの行動、そして日本政府のこの態度、この一挙手一投足を逃すまいと見ている人が日本には沢山います。それは、まあ我々一般の国民もそうですけれども、特定失踪者のご家族がいます。私はこの2年間、この400家族の中、なかなか全部は回り切れないんですけれども、凡そ100家族ぐらいのご家族にお会いしていろいろお話を伺いました。ご家族の皆さんは、皆さん、何となく心配されてるのは、自分の家族はひょっとしたらば、死、をされたかも知れない。でも拉致されていないかも知れない、そういうご心配をされている。しかしながらこないだの、5月22日の小泉訪朝というのは、もし自分の家族が違ってもこれは怪しからん、大変な憤りを感じておられる。あるいは藤田さんの写真が出て来た。これでよかった。なんか進んだ。これで前進だ。そういう気持ちを持っておられる。私どもはこの数年間、政府の所に要請をしたり、外務省に行ったり首相官邸に行ったり、今の拉致支援室に行ったりします。政府の方は、お願いしますと言うと、こういう風に答えます。「ご家族の方のお気持ちはようく解ります。でも何もする事が出来ないんです。向こうは何も答えて来てくれません」と言うんです。そこを出た後にあるご家族が仰った言葉、私は非常に胸に響きました。「私の気持ちを解ってくれと言ってるんじゃない。拉致された私の家族の気持ちを考えて欲しい」という事でございます。

さきほど野口さんが、囚われの身の辛さ、望郷の念という事を仰いました。現在、拉致をされた被害者がどういう気持ちでいるか。これから寒くなりますけれども、これから寒くなるとご家族は、風邪でもひくんじゃないだろうかと。ご飯の時になると、ご飯は食べてるんだろうかと。恐らく今、拉致をされて、言わば囚われの身になってる訳ですけれども、この人達は恐らく今現在、こうやって私がお話をして皆さんに聴いて頂いているこの瞬間も、恐らく日本に帰りたい、日本のお父さんお母さんの事を今現在も考えている訳です。その人達の事を一体政府は、あるいは小泉総理はちゃんと考えていてくれるのかという風に思う訳です。

家族としてみればですね、なかなかそういう事を日本政府にも、なかなか言えない訳ですね。特に認定をされていない方、なかなか言えない訳ですね。言う機会が無い。さきほどその、加瀬さんや藤田さんの話、ここまで証拠が挙がって来ているにも拘らず、なかなか認定をして頂けない。認定をして頂かないと、日朝の交渉の場でなかなか出せない訳です。

で、この認定というのも非常に問題が有りまして、ここにいらっしゃる寺越さんのところもまだ認定をされていない。認定を最終的に決断をするのは内閣総理大臣です。内閣総理大臣が関係省庁の長と協議をした結果、総理大臣が「これは拉致だ」と認定するというのが、これが出来たのは’97年以降の話です。非常に認定のハードルが高くなっている訳です。ある時、藤田さんの弟さんは仰いましたけれども、「うちの兄は拉致をされている。認定されて、それで拉致被害者になる訳じゃない。なのに何でなかなか出してくれないんだ」と。その通りですね。政府が認定するかしないかというのは関係無い訳ですけれども、実際政府はそれじゃないと動かないという、非常に大きな問題が出て来つつある訳でございます。

まあこの様な、小泉総理、それから日本政府、それから歴代の政府のあり方、非常にまあ、不満のあるところばかりではありますけれども、しかしながら、これはもう自分の反省も含めてですけども、これはもう政府だけ、政府にどうこうしろというだけの問題ではもう勿論ない訳です。日本という国は北朝鮮とは違います。選挙をして政治家を選んで、そういう人達が執行をする、いろんな交渉をする。我々一人一人の意識が高くなければ、日本の政府というのも、これは高くならない。小泉総理は最初、拉致問題の解決無しには国交正常化はしないと言ってましたけれども、こないだの訪朝の後には、1日も早く国交正常化という様な事を堂々と言っている。本当に馬鹿な話で、国交正常化というのは正常な相手とやらなければいけない訳です。非常に不正常な相手と国交正常化なんて、本当に馬鹿げた話でございます。ただ、矢張り我々の国、民主主義国家でございます。北朝鮮の様に、1人あるいは一握りの人間がいろいろ決めるという事ではありません。そんな国よりも我々一人一人、国民がそれぞれ一人一人が高い意識を持ってやれば、あの様な独裁国家というものに負ける筈がないんです。その意味で、こうやって皆さん、集まって頂く、そして一人一人が「拉致被害者を全員救うんだ」と。もうこれは、言い換えればもう北朝鮮のキンショウニチ政権を打倒するという事以外には無いと思うんです。そういう気持ちを是非、これからも持って頂きたい。この(藤田さん・加瀬さんの)2枚の写真もそうですけれども、まあこれは私だけの感じかも知れませんけれども、何となく私はこれから物事は大きく進む、そういう風に信じております。こうやって皆さん方が集まって来て熱心に聞いて頂くという姿を見る度に私は絶対にあの国には負けない、そういう風に思います。是非今後とも皆さん、高い意識を持って、日頃の活動にご協力を頂きたいと思います。どうも有り難うございました。(ページトップへ

 

高野美幸氏

こんにちは。
「高野清文」の妹の高野美幸です。藤沢で講演させていただくのは3回目になりますので、重複する話をお聞きする方もいらっしゃるとは思いますが、少しの時間お耳の方をお貸し願いたいと思います。

 私の兄「高野清文」は「藤田進さん」と同じ年齢で、同じ年の2月と7月春休み夏休みというタイミングで、電気通信大学の2年生の時に、寮の他16名の方たちと一緒に寮の合宿というようなかたちで伊豆七島の神津島に向かいまして、そこから突然失踪してしまいました。状況としましては「横田めぐみさん」と同じように、その場で消えてなくなってしまったかのように何の手がかりもないような状態でいなくなってしまいました。

 皆さんのお手元の方に、私が作成しました白黒のチラシの「神津島で消えた兄」というものが入っておりますので、詳細の方はそちらを読んでいただければと思います。藤田さんのお話を今しましたけれども、家族の方は失踪した時ですね、どういう状況かわからないまま何年も過ごしまして、私の母は「こんな気持ちは他にどんな家族にも味わってほしくない」というふうに常々言っていました。

 「拉致」の現実が2年前に金正日から話があった時にも、5名の方が生きていらっしゃるということで、日本に戻ってくるという話があった時にですね、1人の方が名前が分からないという話がありました。その時に最終的には「曽我ひとみさん」だったんですけども、私はテレビの画面を見ながら「私の兄の名前を言ってくれ。高野清文と言ってくれ」ということを祈りながら見ておりました。そうしたところが出て来たのは「曽我ひとみさん」だったんですが、今「特定失踪者」と言われているご家族の方420名いらっしゃいますが、もしかしたら声を出すこともできないご家族もいらっしゃると思いますが、同じように皆さん「自分の家族の名前を言ってくれ」と思っていた方がたくさんいらっしゃると思います。

 そして私が調査会の方に申し出ましてしばらくしましてから、ちょうど藤田隆司さんの方から兄の「藤田進さん」がいなくなっていらっしゃるとお話がありまして、たまたま調査会のポスターの方で隣同士になっておりました。調査会の方で、何か共通点があるのではないかということで「すりあわせをしましょう」ということで、お会いしてお話をいろいろとさせていただきました。

 結果、今特別「ここが一緒である」というようなことは出てきていませんが、北朝鮮に私の兄も藤田さんも接触の面がたくさんその当時からありました。そして今藤田さんの方に、顔の写真が一致するものが脱北者の方から出てきたということで、私の兄の方の情報とかに同じようなかたちで出ている部分があるのではないか、というふうに感じて、なおいっそう疑惑を深めているところでございます。まあ、こういった形で調査会の方は政府機関ではございません。私たち家族一人一人がそれぞれの情報をすり合わせて、そこから「何か北朝鮮につながっているものはないか」「被害に遭うようなきっかけはなかったのか」ということを一生懸命に調べております。

 前回の話と重複しますが、私この問題に取り組んでおります中で、実は私の母親というのが北朝鮮のほうで、日本人であるんですが、あちらの方に開拓でお祖父ちゃんお祖母ちゃんのほうが行っていて、終戦と同時にこちらの方に帰ってきました。それまで母親は、引き上げて来た時に10歳だったので「自分がどこに住んでいたか」ということをあまりちゃんと記憶になかったんですが、今になって北朝鮮の情報が日本に入ってくるようになりまして、その中でたぶん、今「板門店」に近いあたりに実際は住んでいて、ケソンという町の学校に30分くらい電車に乗っていた距離ではないかと、通っていたということがだんだんわかってきました。

 母は引き上げて来る時の話としまして、一緒に働いた方たちから「かくまってあげるからここに残りなさい」というようなことを言われたそうです。母の家族5人兄弟は、向こうの方たちとまあ仲良くやっていたようです。お祖父ちゃんは、実は向こうで母が7歳の時に亡くなっています。だから私の血の繋がっているお祖父ちゃんは北朝鮮の土になっています。そして母親はその時帰って来る時に北朝鮮の方たちに「途中でお腹がすいたらいけないから、焼き米をそのまま食べても水に戻してもご飯みたいに食べられるから」ということで一握りずつもらって、兄弟がその焼き米を帰って来る時に、お腹をすかせないように食べながら帰って来たということです。

 今、日本から「人道支援」というかたちでお米が送られるかたちがあったり、その他穀物類であったりして送られるような話になっていますけれども、私はやはり今北朝鮮でお腹をすかせて飢餓状態に陥っている方たちは、そういった一番下の方たちだと思います。私の個人的観念になってしまうかもしれませんが、私は母のことを温かく見送ってくださった皆さんが、そういった飢餓状態に陥っているのであるならば、その方たちの手に直接お米を握らせてその場で食べていただけるような状態で「支援」を行っていただきたいと思っています。金正日の懐の中に入るだけのお米の支援ならば「経済制裁」をしていただきたいと思っております。

 今いろいろ調べていく中で、先ほど杉野先生の方からもお話がありましたが、私のチラシの最後のページにあります「大町ルート」という地図を作らせていただきました。こちらのデータを何故作ったのかというと、私の出身兄もですが長野県でございます。「大町」と聞いて、これほど背筋の凍る思いをしたことはございません。私の兄自身は神津島でこのルートとは離れたところでいなくなっていますが、しかしながら出身が長野県で、いなくなる前に住んでいました電気通信大学は調布ということになりますと、杉並区でいなくなられた方「久米裕さん」であるとか三鷹市役所というのは、本当に車で5分くらいで着いてしまうところに電気通信大学があるのです。

 そういうわけで、このルートにかけ離れているわけではないので、私の頭の中で失踪者のご家族のことが入っておりましたので「大町ルート」と聞いた瞬間に、ルート上に浮かんできた方たちがたくさんいらっしゃったので「それをかたちにしてみよう」と思って作りましたのがこちらです。「ワッツニッポン」などに情報を送ったのは実は私でして、これをこのまま使って映像にしていただいたみたいです。他のチャンネルでは川口のところから上に上がったかたちになっているのですが「ワッツニッポン」ではこのまま東京都を真っ直ぐ走っている情報が出ております。

 そういったかたちで、家族も本当にがんばって一生懸命に調べております。政府の方にもがんばって動いていただかなくてはいけないと思っております。今日この会場にもですね、私と藤田さん以外にも「生島孝子さん」のご親戚のKさん、藤田さんと同じ川口市の出身で「佐々木悦子さん」のご親戚の方が藤沢市にお住まいでして、今日お手伝いをされています。その他にも近隣にお住まいで失踪されているご家族の方がいらっしゃいます。そういった意味では本当に皆さんの身近で近所で起こっている事件だと思います。身近に感じていただければ、そのこころをそのまま繋いでいただければと思います。

 最後に皆さんにご協力していただきたいことがいくつかございます。藤田隆司さんが川口で集められている署名とまったく同じ内容の署名をですね、私の兄の顔を出したかたちにはなっているのですが後ろの方で署名を集めておりますので、もしご家族のお名前などでもいただけるようでしたら、署名活動のご協力いただければ、藤田さんも川口で20万人分以上の署名を集められたという話ですので、そちらの方に私の署名も内容がまったく同じですので、一緒に入れたかたちで提出したいと思っておりますので、ご協力お願い致します。

 また、私の母が兄の帰りと再会を祈りながら気を紛らわすように編み物をしております。一例なんですけれども、人のこころで「ハート」とか、いいことがあるように鶴亀で「亀」をかたどったもの、子どもをあやす「でんでん太鼓」とか、日本の「桜の花」であるとか、日本の国をかたどりました「国旗」を表したものであるとかを編んで、こんなふうに母は余命を過ごしております。

 あと、先ほど紹介いただいた本もですね、特定失踪者のこともかなり「強制収容所」の方には書かれています。強制収容所の実情も知ると北朝鮮はなんて恐ろしい国なのかとご理解いただけると思います。もしご興味のある方はぜひそちらの方も参考にしていただければと思います。

 後ろで集めましたカンパ等、それからこちらの方の作品にいただいたお金は「兄の失踪の真相を究明救出する会」と調査会の方で半分ずつというかたちで、調査会と私の方の活動費として使わせていただいておりますので、よろしくお願い致します。内容の方は今後ホームページを立ち上げる予定でございます。ご報告させていただきますので、これからもどうか皆さんのご支援をよろしくお願い致します。

 長くなりましたが、これで終わりにさせていただきます。ありがとうございました。(ページトップへ

 

藤田隆司氏

「藤田進」の弟の藤田隆司と申します。
本日はお忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。

 私は今現在も家の兄が住んでいた埼玉県川口市に、今でも同じ場所で同じ家にずうっと生まれてから住んでおります。埼玉県でもいろいろこうした集会がありまして、先週ちょうど浦和の県民ホールで350人くらい集まりましてですね、埼玉県には「拉致」の解決を求める団体がございまして、それが結集しましていろいろとやっていただいております。ぜひ神奈川にもですね、相当数の「拉致被害者」がいると思われますので、ぜひぜひ皆さまのお力をお借りして広めて、今後とも「拉致問題」の解明・解決に向けて協力をお願いしたいなというふうに思っております。

 それでですね、お手元の資料に(事前に配られたもの)私が作りました「消えた川口の6人」というプリントがございます。それをちょっとご覧になりながら、今までの経緯についてですね、説明したいと思います。

 まずですね、この今お配りした「消えた川口の6人」というのを作るきっかけになったのは、私が「もしかして兄も拉致ではないかな」ということで、最初は全然今帰って来ている5人の方々が日本に帰国した時もですね、家の兄については「拉致」だと思わなかったんですね。「拉致」というのは日本海側だけで、たまたま無理やりごく一部の北朝鮮から来た悪人が無理やり連れて行くという、単なる突発的な犯罪というふうに思っていたんです。ですから私の兄が、私も住んでいますが川口というのは日本海側とはまるっきり正反対(の場所)ですから、家の兄の失踪というのは「まず拉致ではないな」とずうっと思っていたんですよね。で、5人の方が帰って来た時でさえも「まあ拉致ではないな」と思っていたんです。

 ところがですね、この資料にもありますように政府認定の拉致被害者「田口八重子さん」という方が埼玉県出身であるということは聞いてはいたんですが、川口の方だということを聞いたのは、ちょうど去年の何と遅ればせながら去年の6月です、初めて知ったのは。私はそれを聞いた時にちょっと驚きまして、川口とその「拉致」というのがもしかして関係あるのかなと。

 それで「田口八重子さん」は家の兄の失踪の2年後なんですね、昭和53年。家の兄が昭和51年。ですから「拉致」が頻繁に行われていたと当時言われていたのは52年か53年なものですから、それよりも前なんですよね。まあ、1年前ですね。ですから、まあ「拉致とはあまり関係ないかな」ということだったんですが、兄の失踪の当時の状況を考えますと、いわゆる自殺する理由とかですね、それから自分から自らすすんで家を出て行く理由がまったくないんですよ。

 当時東京の大学に通っていまして、大学1年生のちょうど終わりかけの2月のことだったんですけども、私はひとつ下でしたから高校3年生でした。それで兄も埼玉県の高校を出まして現役で東京学芸大学という先生の養成大学ですね、そこの大学に合格しまして体育の先生を目指していたんですね。で、家の兄も小さい頃から非常に活発な男でして、まあ小学校時代からバック転はやるし、それから鉄棒でもですね、ぐるぐるぐる転回小学生時代からやったんですね。小学生時代からね。それから水泳も先生が非常に熱心な先生で、水泳も熱心にやっていました。全国で第6位ですか、なってしまったんですね、50メートルの競技で。その他にも中学校に行きましたらバレーボール部に入部したんですが、何故か相撲大会に抜擢されて出ましてね、県で2位になっちゃったんですよ。

 ですからとにかく私よりも相当すぐれた兄でして、一生兄にはとどかないなといつも思ったわけなんですけども、そういう兄でしたんでね。中学校の時も生徒会長をやるくらいで。勉強はそんなに好きではなかったんですが、こと運動に関しては非常に好きで、まあ「いずれ体育の先生になろう」と、やはり小学校の頃から思っていたんだろうなというふうに今思うとですね、そんな感じなんですね。

 そういう男でありまして、大学に入りましたら、今度はラグビー部にすぐに入学しまして、学校の勉強そしてラグビーとその連続だったわけですね。ですから一番身近なラグビー部の仲間とか、川口の地元の友だちの話を聞いてもですね、大学に行ったら水を得た魚のように生き生きしていたと誰に聞いても言うわけですね。ということは、どう考えても家の兄貴の失踪というのは「自殺はまず考えられない」そして「自らすすんで家出は絶対にありえないな」と思ったんですよ。

 ということは、じゃあ他に何があって出て行くのかということなんです。要するに消去法でいってみますとですね、考えられるのはある事件に巻き込まれてそれでトラブルになってしまって抹殺されたと、その当時そのくらいしか考えられなかったんですね。家出とかならば5年以内に解決する、帰って来る、何らかの手がかりが見つかるということで5年間捜しましたが、まるっきり情報がなかったんですね。そうこうしているうちに、家の兄貴の話をすること自体そのものがタブーになってしまいました。

 それでいろんな噂も出まして「親父がしっかりしないから、嫌になって出て行ったんじゃないのか」とかね、それから「新宿でホームレスやっている」とか、そんな噂まで出まして、そういう話が出てくるたびに家の親父は自分自身をずっと責めてきたわけですよね。母親を4年前に亡くしていたものですから、男だけの生活だったので、それに嫌気をさして家の兄貴が出て行ったんじゃないのかな、というふうにも責めたり、とにかくもう非常に苦しいそういう状況だったんですね。家の兄貴のことがタブーになってしまって、誰も口にしなくなったということで私もですね、2年前までは本当に家の兄貴は「もうこの世にいない」、とにかく「どこかで消えてしまった」、あるいは「誰かに殺されてしまった」というふうに思っていたんです。

 ところが、この2年前頃から北朝鮮の「拉致問題」をずいぶんマスコミが報道するようになりまして、この「田口八重子さん」の話があって、川口の方だということから、これはもしかして北朝鮮の「拉致」であるならば、筋が通るわけですよね、今まで悩んできたことが。

 今まで悩んできたことというのは要するに「拉致」だけは考えなかったんですね。それ以外のことはほとんどのことは考えたんですが「拉致」だけは考えなかったんです。で「拉致」だとすると失踪のしかたといいですね、その時期的なもの・年齢的なものといいすべて納得いくわけですよ。ということは、これは「拉致以外に考えられない」とある程度思っていたんですよね。

 その当時家の親父もですね「兄貴のことはもうやめとけ」というふうなことで、いろいろと親父とも揉めたりしたんですが「いやこれはもうどう考えても拉致以外に考えられない」ということで、先ほどお話がありました「特定失踪者問題調査会」にですね、何と遅ればせながら去年の7月に届出を出したんです。その時に調査会の方から、その当時は「家の兄と田口八重子さんが拉致されたんだな、2人だけ」と思っていたんですよね。そうしましたら何とこの資料にありますようにですね「拉致の可能性がある失踪者」、川口だけですよ、これ、川口関係を集めたものだけで何と家の兄貴を含めて「田口八重子さん」を含めて6人もいるということをその時に知ったんです。

 それですぐにですね、これらの家族の方々と私も接触をとりまして、何か家の兄貴との共通点はないか、接点はないかということで、すべてのご家族とお会いしましていろいろな話を聞きました。そうしましたらですね、それぞれの失踪した個人同志のつながりというのはほとんどないんです、実は。ところがですね、例えば「学校は違うけれどもクラブ活動が同じだった」、それから「会社の名前は違うが銀行員同士だった」とかですね、直接的な関係というよりもその周辺の共通項とか細い糸が見えてきたんですね。これはもしかして相当怪しいと。それぞれの失踪者も家の兄と同様、失踪する理由がまったくないんですよ。

 しかも川口というひとつの共通項にして作ったポスターですが、何とですね、川口警察はこの下にありますが(資料の地図を指して。6人の実家や住居が)川口警察を中心にして半径3キロ以内に全部入っちゃうんですよ。半径3キロでこの6人というのはあまりにも多すぎやしないか、何かこの川口という地域性が「拉致」との関係があるんじゃないかなということで、調査会の方にもいろいろと調べていただいているわけです。

 実は、これは公表されているだけでは6人なんですが、非公開を含めますとまだ相当いるんです。いろいろなことがありますので、一応6人ということになっていますが、相当数川口には(失踪者が)いるということなんですね。

 それぞれ(5人の失踪者や「田口八重子さん」のことが)いろいろ書いてありますが、私の兄は19歳の時にいなくなりまして、28年後の今年の7月に初めて家の兄貴に関する情報が、写真が出てきたわけなんですね。

 その写真が(写真を見せる)これですよね、これはもう皆さんテレビ等でご覧になっていただいていると思いますが、この写真を見た時はですね、とても家の兄貴とは思えなかったんですよ。何故かと言いますと第一点がですね、目が二重なんです。家の兄貴の失踪当時のこの写真なんですが(写真を見せる)この写真の目は一重なんですよね。一重はどう考えても二重になるのはおかしいじゃないかということで、人相も目の輝きもまるっきり私が記憶している兄貴とは違っていたものですからね「これは家の兄貴ではない」というふうに思ってしまったんです。

 ところがその後調査会の荒木代表がですね、この写真2枚をつき合わせてみたら(手が)止まったんですよね。その時に止めてくれなかったら、その時点でこの話はなかったんですよ。ですから本当にもう偶然の一致ということで、荒木代表は右の目が下がっているということに注目したわけですよね。そうしましたらこの写真を2つ同じ大きさにしまして明かりに当てましたら、目の二重以外はほとんど一致しちゃっているんです。

 何でこんなに一致しているのに私は「本人じゃない」と判断したということなんですが、細かい部分部分で人間判断していないということですよね。瞬間的に思っている兄貴のイメージで判断したんですけれども「とても兄貴だと思えない」。しかし荒木代表は「これはもしかしてもしかするぞ」ということで、鑑定の専門家である東京歯科大学の橋本先生に鑑定を依頼しまして「同一人物である」という結果を得たわけです。それで「報道特集」(8/1TBS放送)によりまして一斉に全国に放送されたわけなんですね。

 そういう経緯があるんですが、とにかく家の兄の場合はこういった形で写真が出てきたからいいんですが、まだまだ「拉致の可能性が高い」方々というのが調査会のそのポスターにもありますが、届出があるだけでも420名ですから、これは相当の数になるのではないかと思うんです。それで今荒木代表に言わせると「少なく見積もっても100人は間違いなく拉致されている」と言うわけですよ。私も会ったご家族の感触を言いますと、おそらく相当数に上るんじゃないかなというふうな感じがするんですね。

 ですからこの問題はですね、本当に掘り起こすと根が非常に深い、それから広い、そして年代が相当の長期間に渡って行われていると思われます。それで、先ほどありましたようにその「加瀬テル子さん」の写真も出てきましたが、あの写真も家の兄貴と同じルートで同じ人物から出ているわけですよね。そう考えますと他にもまだ10名ほどの日本人拉致被害者の写真が出てきていますから、その鑑定が急がれるわけですが、非常に慎重にやっているんであろうと思いますが、今後これらの写真をきっかけにどんどん「拉致」の疑いの濃厚な人々が出てくる可能性が多聞にあります。

 いつどういうふうになるかわかりませんが、私としては「拉致の認定を求めている」のですが、認定されないのであれば交渉に乗っけてくれないという今の日本の政府の立場があるのであれば、これは認定を求めざるを得ません。しかしもう認定よりも何よりも(写真が)出てきて3ヶ月も経つんわけなんですよね。ところが何の連絡もないんですよ。やっているともやっていないとも。「今慎重にやっている」という話が少しはありますが。あの同じ鑑定をもう一度やっていたりするんですね。

 とにかく早くルートの確認がしたいんであるんだったら、政府の外務省がしっかりとしたルートの確認をぜひともしてほしいと思っているんですが、とにかく認定ももちろん大事ですが早く「拉致」がわかったんであれば早く救出してほしいんです。

 今後の交渉は「情報の提供を求める」ことも大事だと思いますが、何故か日本の外交姿勢というのが、情報の提供というか「こういう人がいますけれども、拉致していませんか?」というふうな、あまりにも当たり方が弱いんじゃないかという気がしてならないんですね。

 不当に無理やり「拉致」した人さらいですから、これはもうとんでもない犯罪なので「早く返せ」と当然要求すべきことだと思っているんですけれども、そういう言葉を政府から聞いた事がないんですよね。しかも今政府の責任者内閣総理大臣小泉総理大臣からですね、未だに「すべての拉致被害者を返せ」と「それまで拉致問題は終わりではない」というふうな言葉を聞いたことがないんですね。そういう姿勢を示すことだけでも非常に北朝鮮にとっては圧力になると思うんですが。

 政府とケンカをしているわけではありませんが、あまりにも私からすると「本当にこんなことじゃ、いつまで経っても帰ってこないよ」と「ひとり帰って来るのに5年10年、全員帰って来るのに何十年?そのうちみんな死んじゃうじゃないか」というふうに思ってしょうがないんですね。

 本当に「すべての拉致被害者を救出するんだ」という日本の姿勢を示すことが、北朝鮮に対する大きな圧力になると思います。皆さまのそうした当たり前の声をですね、挙げていただきたい。ぜひとも今後ともお願いしたいと思います。ありがとうございました。(ページトップへ

 

松木信宏氏

松木信宏です。よろしくお願いします。
今、よど号の妻たちが順番に帰国してきております。まぁ、一応拉致というも のに関しては認めてないもんですから、旅券法違反で、という形で逮捕、帰国 即逮捕という形になっております。前回逮捕されました安部公博の妻の魚本民 子の裁判を、神奈川の会の事務局長さんと一緒に傍聴させていただきました。 拉致に関しては全く身に覚えがないということを、まぁ、メンバーの主張と同 じような話で否定をし続けております。ただ、先日、どこかの民放のテレビ で、今回帰ってきました水谷協子(田中協子)に関する取材の過程で私の兄や 石岡亨さんを拉致したとされているよど号妻の森順子、黒田佐喜子のインタビ ューが流れていたらしく、今までは私の兄や石岡さんとは会ったこともないと 主張していたんですが、今回、まぁ面識はあるというようなことを言い始めて いるようです。石岡亨さんとスペイン・バルセロナの動物園で写っている写真 というものがずっと報道されておりまして、よど号メンバーたちも全く知らな いというのは辻褄が合わなくなって来ているんだと思います。で、この面識は ある、ということを、これからどういう風な形で拉致とは関係ないと言ってく るかはわかりませんが、恐らく私の兄や石岡さんは自分たちの意思で北朝鮮に 入ったのだというような主張をしてくるのではないかと考えております。

しかし、どういう風な形で言ってくるのであれ、一昨年9.17の時に北朝鮮側は 「拉致をした」ということを認めておりますので、それを間違いだとはよど号 メンバーたちも言いにくいのではないかと思います。まぁ、実際、日本国内の 拉致と違いまして私の兄たちは、ヨーロッパから猿ぐつわをされて連れて行か れたという訳ではありませんので、ある意味だまされたという側面があります ので、自分たちの足で北朝鮮に入ったことは間違いないのでしょう。しかし、 そのような形で入りはしましたが、だまされたと気付いて帰りたいという状況 で、北朝鮮からはいそうですかと出してもらえるような状況ではなく、二十何 年も、帰りたいの帰れないという状況になっているのはやはり「拉致監禁」に なるのではないかなと私は思っております。だから、まぁ、どういう形でメン バーが言ってこようとも私らは全力でそれを払いのけていくつもりでおりま す。

よく私が言ってるのは、自分たちの意思で北朝鮮に入った人間、自分で望んで 北朝鮮に入った人間がこうやって、北朝鮮と日本を行き来するようなことが出 来まして、自分の本意でない形で北朝鮮に入ってる人間が帰ってこれない。こ れは国内で拉致された方、拉致された可能性のある方含めて、そういう人たち が帰ってこれないというのは理不尽ではないか。あまりにも理不尽すぎない か、と思っております。

これから5人の方の家族とか戻っては来られましたけども、ある意味、私らの 家族などは今からが正念場ではないかと思っております。日本国内での拉致の 場合は、明らかな主権侵害とかがありますが、私らの場合はそういうものとは 少し次元は異なりますけども、なんとしても取り返していく、やっていかねば と思っております。他の人たちの何倍もの労力が必要となってくるのではない かと思っております。やはり自分たちの力だけでは、こういうものは解決して はいきませんので、やはり北朝鮮のことをよく知っている方々、今日いらっし ゃってる難民救援基金の加藤さんの所みたいな所と色々、情報を交換しなが ら、北朝鮮という国はどういう国なのかを見極めながらやっていかなくてはと 思っております。一筋縄で行くような国ではありませんので、心してかからね ばと思っております。

よくこの拉致問題というのは政治家の方々もやっと興味を持ってきておられる というような話を耳にはしますけども、このよど号問題については、不思議な ことにどの政党の方々も後ろずさりしてしまう、というところがあります。や はり拉致の実行犯が日本人であるということもあるのかなと思っております し、今、よく陳情とかもさせていただくんですけども不思議なことに与党の方 々がこの問題については非常に後ろずさりしており、陳情を出す時には例えば 5人の家族が帰ってくる前であれば「5人の問題が今こうしてる時にはちょっ と・・」というような話になりますし、つい最近の場合は、うちの家族会の増 元さんが選挙に出ておられる時期でしたので、「選挙期間中はライバルですか ら」というような感じでお断りが入ったり、まぁ、なにかと理由につけてこう いう陳情事というのは、受けていただけなかったという現状があります。

普通なら、対北朝鮮ということだけ考えておればいいのかもしれませんが、私 らの場合は、日本国内の方々の方がなかなか強敵でありますから、そういう方 々をどう説得してやっていただく方向に持っていかなくてはいけないのか、と いうことも考えなくてはいけないので、まぁ、難しいなと感じております。今 日いらっしゃってる寺越さんの所の場合は、やはりお身内の方で北朝鮮にいら っしゃる方もいますので、そういう意味でさらに難しい。家族会の飯塚副代表 の場合は、今度は韓国という国がからんでいますので、またさらに難しい。こ れから本当に、安否未確認者、どのケースも状況としては、なかなか厳しいも のがあると思います。やはりそういう厳しい状況を前に進んでいくためには、 皆様方のご指示が、前提になるかと思いますので、どうか引き続きご協力いた だければと思っております。(ページトップへ

 

加藤博氏

北朝鮮難民救援基金の加藤と申します。
私達の団体は名前の通りですね、北朝鮮から脱出して難民になった人達を救援する為の団体です。ですから、まあ言ってみれば人道主義を中心に据えて、人権問題もそれと同じくらいの比重でまた取り組んでいるという風にご理解頂ければいいかと思うんですね。

今年の2月にですね、韓国からお客さんが見えました。そのお客さんというのは、韓国で拉致されてですね、北朝鮮に行って矢張り20年くらいいたと。その人達が中国に脱出して、中国から再び韓国へ戻れたというケースですね。この人達が何でそういう事が出来たかと言いますとですね、この人達が拉致されたのは対南工作、北朝鮮の対南工作の為にその教員・教官として彼らを使おうとしたんですけれども、その人達が、言ってみれば、まあ北朝鮮当局から見ればですね、失格、つまりそういう事に使おうと思ったけれども十分用を為さなかった。彼らは抵抗した訳ですね。従って彼らをですね、政府が抱き抱えておく訳にはいかないという事で、一般社会に放り出したんです。一般社会に放り出して、勿論だから監視が無くなったという訳ではないんですが、北朝鮮と中国の国境近くの方の寮にですね、放り出された訳ですね。北朝鮮では地方に行くと、大変生活が厳しいんですね。ですから、そこでお金を貯めてですね、脱出資金を稼ぐというのもなかなか大変だったろうと思うんですが、ともかくそういう様な形で中国に脱出して来たと。そして中国に脱出して来て北京にある韓国大使館に、実は私はこういう風にして拉致されたので逃げて来た、と言ったら、「お前は20年間、韓国政府に対して税金払わなかったろう」という事を最初に言われたと言って、大変憤慨しておりましたですけどね。まあ政府というのは、日本政府はそんな事は言わなかったとは思いますけども、だいたい似たり寄ったりな事を言うもんですね。非常に、それを聞いて私は腹立たしかったんですけども、まあ結果的には彼らは帰って来ました。

私は、政府の態度が悪いという事を言いたいんじゃなくて、それはそれでありますが、要するに拉致されていた人間がですね、用無しになった場合に地方に放り出される、一般人社会と同じ所に放り出される可能性が有る。韓国から行った人のケースの場合はそうだった。そういう人達が、何らかの機会を得てですね、北朝鮮から中国に渡って来る可能性が有る。そうなった場合にはですね、拉致被害者ではありますけれども、やっぱり難民なんですね。彼らは捕まって送り返されれば、もうこれはとんでもない事になる訳です。我々、誰が考えても明々白々ですね。そういう事がありますから、私達はそういう観点からもですね、アンテナを張っています。ですから、北朝鮮の難民問題と拉致被害者の救出という問題はですね、全部が一致する訳ではないけれども、そういう中国に脱出して来るという点ではですね、であるという意味では非常に大きな共通点。それ故、一緒に解決しなければならないノウハウは、かなり一致していると思いますですね。

で、北朝鮮で最近いろいろ口コミで中国の情報だとか日本の情報が伝わってはいますけれども、情報統制社会ですから、彼らが中国に逃げて来たとしてですね、どの様にして日本大使館に接触するかとかですね、どの様にして安全にですね、国境から日本領事館のある瀋陽まで辿り着くかとか、北京まで行ったという様なところは、まだいろいろと問題が有ると思うんですね。その途中で中国の公安に捕まったりする可能性も有りますし、北朝鮮が派遣している国家保衛部員によって拘束されて送り返されるという事も有ると思いますね。

最近アメリカで大統領が署名したですね、北朝鮮人権法案の中に、アメリカ国籍の韓国人でキムドンシク牧師という人が拉致されていると、北朝鮮に拉致されたという事がその法案の中に書いてあります。そのキムドンシク牧師という人は私達と同じくですね、北朝鮮からやって来た孤児達を一生懸命面倒見ていた、そういう人ですね。私もよく知っている人です。彼は拉致されたであろう、という風に思っていたんですが、確たる証拠は有りませんでした。しかし今回、私が驚いたのは、その北朝鮮人権法案の中に彼の名前がきちんと出てるんですね。中国は、その事実を当然知っていますね。彼が、キムドンシク牧師さんがいなくなったのは、中国でいなくなったんです。中国で拉致されて北朝鮮に行ったという事ですね。

で、私がもっと恐ろしく思ったのはですね、私は2002年に北朝鮮難民に冬の服と食糧を配る為に行ったところですね、中国の安全局、これは諜報機関ですけども、それによって拘束されました。その取調べの中でね、こういう事を言われたんですね。「正直に話せ」と。さもなければね、「あなたを跡形も無く、痕跡残す事無く、身柄を北朝鮮に渡す事だって出来る」と。これは何を意味しているかって言うとですね、中国と北朝鮮の間というのは、凄い密接な関係が有るという事なんですね。事実ですね、今、北朝鮮がいろんな問題が起きているにも拘らず生きて行かれるのは、中国のお陰です。中国から莫大な量のエネルギーと食糧と雑貨と、もう殆ど中国から行っています。で、中国の軍事体系が、それまであったロシアに代わってですね、中国の軍事体系が北朝鮮へ入ってますから、もう北朝鮮は中国の言う事を聞かざるを得ないし、中国は北朝鮮に言う事を聞かせる事が出来るという、そういう関係ですね。で、人権問題にして言えば、捕まえた人間を強制的に送り返していると。その人達は、送り返されれば厳罰に処せられる。で、甚だしい場合は、強制収容所に送られたり死刑になったりするという風になっていますね。北朝鮮の刑法に、それは書いてあります。実際にそれは起こっています。私もそうなるかも知れなかったし、キムドンシク牧師はそうなったし。一方で、北朝鮮から逃げて来る可能性もまだ残されているという事ですね。そういう事を考えるとですね、中国の果たすべき役割というのは凄く大きいと思うんです。つまり、拉致被害者を救出するに当たって中国がどの様な役割を果たすか、あるいは我々がどの様な役割を果たさせるか、こういう事が非常に大事じゃないかなあと思います。

今までの皆さんのお話を聞いているとですね、何となくその、もどかしい、思う様に先に話が進まないと、そういう風に感じられますね。確かにその通りなんですが、でも長い目で、ある程度長い期間を見てみればですね、帰って来た5人の人達だって、最初から認定された人達ではなかったという話ですよね。これはみんな、そういう訴えをした人達の、ある意味、沢山の支持する人が現れてですね、それが大きな世論を作って動かした訳ですね。そして、北朝鮮の天皇と言われているキムジョンイルをしてですね、「北朝鮮が拉致した」と言わせしめたと、これはもう歴史的な大事件ですね。それで、今年の3月にはですね、そういう様々な動きが有った中で、国連人権委員会でですね、北朝鮮の人権を調査するという事が決まって、特別報告官というのが任命されました(http://www.asahi-net.or.jp/ ̄fe6h-ktu/topics040526.htm)。この報告官が、北朝鮮の1年間の人権状況を調査してそれを国連の人権委員会に報告すると。その内容は国連の常任理事会で報告を提出するという事にもなっています。もし、この勧告を北朝鮮が聞かなかった場合はですね、北朝鮮に対する国連常任理事会からの勧告・制裁というのが次にある訳ですね。この様になりました。それから、さきほど言った北朝鮮人権法案はですね、拉致の問題、それから難民の問題、拉致被害者を救援する団体・難民を救援する団体に対する支援、それからいろいろな事を定めています。そういう風に、北朝鮮の状況を包囲する様なですね、動きが大きく出て来ています。ただ、さきほど皆さんが本当に腹立たしく思っているのは、日本政府の立場であるとかですね、それから一向に認定しないとかですね、帰って来ないという、そういう問題が有りますね。ですから、状況は大きく変わっているけれど、今一歩だと私は思います。で、北朝鮮人権法案が出来たりですね、アメリカがこれだけ一生懸命やったのはですね、横田さんを始めですね、そういう関係者の皆さんがアメリカに一生懸命行ってですね、そして説明して納得してもらってという、そういう活動が下敷きに有ったと思うんですね。

私はですね、それと同じぐらい、あるいはそれ以上にですね、やっぱり中国に働きかけるべきだと。中国が北朝鮮に梃入れしたりですね、するんじゃなくてですね、北朝鮮に「お前、何とか解決しろ」と言わせるぐらいまでですね、矢張り中国を動かすと。ですから、拉致被害者の人達が集まって、あるいは家族会が集まって、特定失踪者の会の人達が集まってですね、日本にある駐日大使館のですね、大使にそういう要請をしに行くのもいいんじゃないかと。そういう様な活動を一生懸命やってですね、最終的にはその、まあ前の駐日大使で今は外務次官になった武大偉という人が、いま本国にいますけども、そういう人達に面会してですね、北朝鮮の状況を何とか変えてくれと、拉致被害者を何とか返してくれと。そういう様な圧力を掛ければですね、アメリカがやって中国がやって、という事になりますとですね、向こうは何もしないという訳には多分いかなくなりますね。ですから、中国とアメリカという2つの大きな柱を何とか有効に使う。その、有効に使う為には、私の目からするとですね、まだ中国に対する働き掛けは非常に弱いんだろうなあという風に思います。私達は中国に対してはですね、散々、私達は批判をしてですね、中国から非友好分子という風に思われてましてですね、私達が言っても言う事は聞かないんですけども、ここにいらっしゃる皆さんがですね、そういうアピールをして行く事が、私は大事じゃないかと。で、最終的にですね、どうしても言う事を聞かせると。アメじゃ駄目だと、ムチだという場合にもですね、中国にそのムチを使わせる為にはですね、中国としっかり、やっぱり連携しておく必要があると。中国が北朝鮮と同じ人権後進国だと思われますよという風に、やっぱり印象付けると。それをしなければならないという様なところまでですね、矢張り追い込んで行く、そういう事が必要じゃないかなあと思われます。で、経済制裁をするのには、効果的にするにはですよ、日本だって単独で出来ない訳じゃないんですけれども、効果的にして北朝鮮に言う事を聞かせる為には、中国に言う事を聞かせる事ですね。ですから、その点を、運動の中心になっている方はですね、是非考えて頂きたい。

私達は散々中国に対して、人権問題についてやって来ましたけども、まあさきほど野口が言った様にですね、「じゃあ、お前達日本はどうなんだ」と言われると、非常にその、顔を上げてやれなくなっちゃう様な状況ですから。そういう意味では、そういう面と向かってやるにはこちらはちょっと弱点が有りますからですね、中国を持ち上げてですね、中国に拉致被害者を返す為の力になってもらう様にですね、やっぱり少し知恵を使う、その為に汗を流す事が必要なんじゃないかという風に私は思っていますですね。中国の人権状況が非常にお粗末だと言う事は、私よく解っています。証拠も無しに逮捕したりね、するんですから。北朝鮮からやっとの思いでですね、中国に逃げて来て中国で暮らそうと思ってたら、中国で捕まえて今度は送り返すんですから。どうしてもいられないから他に逃げますね。あるいはモンゴルに逃げたりベトナムに行ったりですね、いろいろします。で、モンゴルに逃げた人なんかはですね、背後から射殺されると。1人の人間、1人の青年がですね、少年時代から、これはレンクというところが面倒を見てた少年ですけどですね、それをモンゴルの国境を越えた時に、中国の公安警察・国境警備隊がですね、撃ち殺してしまったと。そういう問題も有るんです。ですから、難民は保護されなきゃいけないのに、保護するんじゃなくて撃ち殺してしまうというね、こういう国なんです。そういう国である事は解っているけれども、北朝鮮に拉致された被害者の気持ちを伝えてですね、北朝鮮を動かすのは中国にしかそれは出来ないんだろうと思います。それで、日本の経済制裁を効果的にしようと思ったら、やっぱり中国を自分達の味方に少しでも付けなければ、やっぱり効果は上がらないだろうと思いますですね。日本から経済制裁がされても、北朝鮮は生きて行かれます。しかし中国から経済制裁をされたら、北朝鮮は生きて行く事が出来ません。軍事も同じですね。そういう事ですから、是非、対中国対策というものをですね、考えて頂きたい。そうすればですね、運動ももう一歩飛躍するんではないかなあと私は思ってます。以上です。 (ページトップへ

 

質問
1.特定失踪者で拉致の疑いが濃厚な方々のご家族が警察に一斉告発しましたが、警察はきちんと捜査しているのでしょうか。山本美保さんのケースでは、逆に足を引っ張る情報を出して来ています。捜査の行方をどう見ていますか。
2.先日、産経新聞のスクープで、ゼネコン10社がピョンヤン入りをしようとして突然引き返した(一部は入った模様)と書かれていましたが、それについて何かご存知ですか。

回答(杉野氏)
はい。警察の方なんですけれども、全体像がどうなのかというのは私も必ずしもよく分からないんですけれども、今月の10月4日にですね、警察庁は全国の拉致担当の捜査官を集めて会議をやっております。非常にかなり踏み込んだ訓話が出されたそうで、一斉告発を今31人出しておりますけれども、これに対して徹底的に調べてそれを認定に持って行くという事を目指すという風に言っています。ただ一方では、個々にですね、先程お話が出ました山本美保さんの件、これはご存知の方も多いかと思いますけれども、私どもがこれは拉致の可能性が高いという風に判断をしまして、山梨県警に告発をしました。ところが今年の3月にですね、山形県にそのころ漂着したご遺体が山本美保さんであると。従って山本美保さんは拉致をされたんではなく国内で亡くなっていたんだ、いう発表を致しました。ただ、これ調べてみますと、このご遺体の当時の調書を見てみますと、体のサイズですとか、歯形ですとか、着けていた着衣、これが全く本人ではない。しかしながら警察の方は、調べてみるとDNAが一致すると。従ってこれは山本美保さんであり、山本美保さんは国内で亡くなっているという風に言っています。まあこの矛盾点が、DNA以外は全然本人のじゃないという事ですので、いまだに我々とは、ああでもないこうでもないと押し問答をしていますけれども、そういった個々の、非常に警察は一体何をやっているんだろうというところは有ります。しかしながら一方で、いま表に出ているところでは、警察は本腰を入れ始めているのかなというくらいの、まあそういう感じは致します。ただ、問題は警察が一生懸命やったと、証拠を見付け出して「これは拉致認定しても宜しい」という風に言ったとしてもですね、問題は、これを例えば官邸に上げても、最終的に拉致認定をするのは内閣総理大臣。ここが、うんと言わなければ、拉致認定はされません。実際に今年の初めですか、田中実さんと小住健蔵さんについて、警察庁は既に、「この方々は拉致をされたんである。認定しても宜しい」という風に官邸に上げました。しかしながら、当時の福田官房長官はそれを、何て言うか無視したと言うか、結局握ったまま、そのままご本人も辞めてしまったという現状がございます。家族にとっては、警察というのは非常に、警察以外に頼る所は無いんですけれども、その警察にさえ限界は有るというのが現状で、真相を究明するという事は確かに大事な事ですけれども、それに加えてどうやって救出するかという事はやっぱり政府、政治判断という事にならざるを得ないんだろうなというのが当面の課題でございます。
もう1個は、ゼネコン10社の問題ですね、これも実は私はあんまりよく分からないんですけれども、産経新聞に出ましたけれども、この話は今年の春先、もうちょっと前かな、今年の初めぐらいから、何となく噂としては出てました。週刊新潮か何かにちょっと出てたかも知れないんですけれども、要は北朝鮮と国交正常化を結んだ暁には、向こうのインフラ整備だとか、そういうものの援助を日本側からする事になると。実際それを請け負うのは日本のゼネコンであると。日本のゼネコンはいま公共事業も少なくて不況であるから、ゼネコンにとっては特需になるという筋書きだという事でございますが、いろいろ今年の初めに話が出た時に、そういうゼネコン関係者の方にいろいろ当たってみたんですが、まんざら嘘でもないみたいですね。これはもう私が受けた感触ですけれども、まんざら嘘ではないらしい。ただ、それ以上のところは私にも分からない、という状況でございます

質問
藤田進さん・加瀬テル子さんの目は、どうも整形されているように思えてなりません。何らかの目的で整形させられた可能性は無いのでしょうか。

回答(藤田氏)
えーと、あの1枚の写真のですね、目が二重だった、で、私の記憶しているのは一重だったという事で、その点が非常にこう、分からなかったんですね。で、橋本先生の話によりますとですね、年齢とともに、要するにうちの兄貴は、私は一重だと思っていたんですが、実はよくよく見ると奥二重という、一重に見える奥二重だったらしいんです。その、ぱっと見ますとね。で、その年齢とともにその形が段々変わって綺麗な二重になる事はよく有ると、いう事だったんですね。で、うちの男系を見ますとですね、明らかに一重はいないんですよ。何で兄貴だけ一重だったのかなと思っていたんですが、実は一重に見える奥二重だったという事で、まあ私も納得したんですね。要するに一重が二重になった訳ではなくて、もともと二重だったものがはっきりした二重になったんだという事で、説明を受けてます。で、まああの、整形したんじゃないかなという話なんですけども、その点が解消された事と、あとその他の部分もですね、部分部分は殆どもう差異が無い訳ですよね。という事は恐らく、整形はされてないんじゃないかなと。まああの、当然、環境によって人間の顔付きとか人相というのは変わって来ますし、現にあの、帰って来た曽我さんなんかは、帰って来た時の顔と今の顔とでは全然、ね、見た感じが違いますよね。そう考えるとその環境によってね、人間のその人相なり、そういう目の輝きみたいのは相当変わるんだなという事を感じましたよね。以上です。


質問
1.寺越友枝さん・武志さん母子の話がTVドラマ化されていましたが、その中で旧社会党の島崎・元議員が、母子を北朝鮮で会わせた恩人の様に描かれていました。しかし、元議員は北朝鮮による拉致である事を隠蔽しようとした人物である事を、本などで読みました。実際はどうなのでしょうか。
2.寺越友枝さんの最近の状況はどういったものでしょうか。

回答(寺越氏)
最初にあの、後の方の質問からいきますけども、友枝さんは先日の21日、マンギョンボン号でまた北朝鮮へ行っています。今年、多分2箇月に1回の割りで北朝鮮に行っているんじゃないかと思いますけれども、あの、友枝さんは、武志がやっぱり北朝鮮に骨を埋めるという覚悟を決めてから、やっぱり変わったなと思いますね。うん。まあ、これは私達が非難する事も出来ないし、あの、友枝さん・武志親子の問題として私らはこれから見て行こうと思うんですけども。
で、もう一点が?ああ、あの、最初のボタンの掛け違いが、私は島崎議員ではなかったんかなあと思います。あの、一番最初に手紙が来てから、友枝さんは役場へ行ったり警察に行ったり、あっちこっち駆けずり回って、で、最後にまあ、北朝鮮の労働党と友好関係にあった社会党、島崎さんに辿り着いた訳なんですね。で、島崎さん自身はまあ、最初はあの、本当に親子の対面をさせてやりたいという気持ちは有ったんだと思いますけども、やっぱり交渉して行く中で、寺越事件を拉致という形で進めたらまず親子の対面は出来ないと。で、苦肉の策で、「救助」にすれば会えるやろうという事になったんと違うかと思いますけども。ただ、何で寺越事件を拉致にしたら北朝鮮側にとって都合が悪いかというと、2点ありまして、1つは、手紙が来てその10年前あたり、’77年・’78年あたりから横田めぐみさんとか曽我さん、有本さん、じゃない御免なさい、蓮池さん、地村さんの拉致があった訳ですね。寺越事件が拉致だと分かるとどうも、恐らく、北朝鮮の拉致という事で、やっぱり公になっていくんじゃないかという心配が有ったんかなと思うし、もう1点は、やっぱり父親の死の真相、アンミョンジンさんのご証言の通りだとするとやっぱり、拉致だけでは済まない問題になってきますんで、北朝鮮側としては寺越事件を拉致という事ではなくて、やっぱり「救助」にするしかなかったんじゃないかなと。あとはまあ、あの、ご承知の通り武志を国交正常化のカードに使って現在までに至っているという事なんですね。

(寺越氏に続き、内田氏も回答)

あ、いいですか?あの、まあ私、兄貴と顔が違う分だけ考え方も違うかと。まあ、私の考え方もちょっと聞いて下さい。あの、私が声を挙げてその次の年の2月、昨年の2月に救う会の石川を立ち上げて頂いて、その時に友枝さんと会いまして、救う会と一緒に闘いませんかと話し掛けたんですよね。その時にあの、「武志はもはや木が大きなり過ぎて、根も張って枝も広げて、もうどうしょうもない」と。だから私達とは道を別にしてお互い頑張りましょう、という事で別れたんです。その後、そういう形で、私らは拉致やし、友枝さんは「救助」の方に行っとるもんで、まああんまり話しないんですけども、テレビの報道では今から2、3箇月前かな、「大きなり過ぎて私は伐る事は出来ないけども、伐る道具は持っている」という、こういう事をテレビであのとき言っとったわいね。おかしいこと言うなあと思っとったんです、私。その伐る道具を持っとるというのは、拉致だという声を挙げるぞという、そういう意味じゃないかなあと。という事は、何でやろうと思っとったんやけども、いま兄貴が言いました様に、先週の水曜日に新潟からバンケイホウ号で北朝鮮に行きました。それまでは新潟空港からウラジオストク経由、飛行機で行ってたんですけども、今回は船で行きました。その、何でやという、それを新聞で見たんですけども、持って行く荷物が多くなったので今回は船で行く事にしたと。今回の入港反対に、家族会から飯塚さんとか、九州の市川さんなんかも反対運動で新潟に入ってたんですけども(http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200410/20041020.htm 
)、その中で船で行ったという事は、本当に決心して行ったんやなあと。それは何でか思うたらやっぱり、いま武志はピョンヤンの職業同盟の副委員長とか、まあ高い地位にあって、運転手付きの車や7つ8つある部屋も与えられとるとか、そういう地位ねんけども、いや本当に、そういう地位の人達でもよっぽど物資が少なくなってきて、苦しくなってきとるんやなあちゅう気は初めてしましたね。ええ。だから、北朝鮮が生活が苦しい、で、拉致やと声を挙げて政府に援助を求めようという腹にちょこっと心がなびいたのか、今回の訪朝は荷物をたくさん持って船で行ったという事で、北朝鮮の情勢は上層部の方も結構物資が少なくなってきてるんじゃないかなあという気がしました。経済援助を政府がするのは本当に、今ボーンとやっても、まあ上層部だけにしか援助物資は回らないと思います。本当に監視をしない限りは末端まで届かない様な状況かなと思います。はい。以上です。(ページトップへ

 

高野美幸さん、藤田隆司さんの講演要旨は「aoinomamaさん」作成
松木信宏さんの講演要旨は「電脳補完録」作成
その他の参加者の講演要旨、及び質疑応答は「ヘソ伝ファンさん」作成

電脳補完録
aoinomamaさんのHP